【豊臣兄弟!】直亡き後、小一郎は誰と結ばれた?妻となる慶(吉岡里帆)と側室・光秀尼の生涯
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第8回放送「墨俣一夜城」では、少女の命を救おうとした直(白石聖)が殺されてしまいました。悲嘆に暮れた小一郎(仲野太賀)でしたが、彼も生涯独身とはいかず、後に正室や側室を迎えています。
今回は小一郎こと豊臣秀長の正室となった慶(吉岡里帆)こと慈雲院(じうんいん)と、側室の光秀尼(こうしゅうに。お藤)を紹介。果たして彼女たちは、どんな生涯をたどったのでしょうか。
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秀長の正室・慈雲院とはどんな女性?
生年不詳〜元和6年(1620年)没
慶(ちか)とは大河ドラマの創作で、戒名の慈雲院芳室紹慶から最後の一字をとったものでしょう。
小一郎との婚姻時期については諸説あり、永禄9〜10年(1566〜1567年)ごろと考えられています。
出自も不明ですが、婚姻時期の仮説に基づいた場合、小一郎と概ね同格≒織田家直臣と考えるのが自然です。
※一説には神戸伝左衛門秀好(かんべ でんざゑもんひでよし)の娘とも。
結婚後間もなく嫡男の木下与一郎(よいちろう)を生んだと考えられていますが、与一郎は天正10年(1582年)ごろに先立ってしまいました。
天正13年(1585年)に小一郎が大和国(奈良県)を与えられると、一緒に移り住みます。
姑のなか(坂井真紀)との関係は良好で、天正14年(1586年)から天正18年(1590年)にかけて、一緒に春日大社へ参拝していました。
また義妹のあさひ(倉沢杏菜)が病を得ると、春日大社に平癒を祈祷させています。
天正19年(1591年)に小一郎が世を去ると、出家して慈雲院と号しました。
小一郎の家督(大和大納言家)は養子の豊臣秀保(ひでやす。姉ともの三男)が継ぎます。
しかし文禄4年(1595年)に秀保が若くして世を去り、大和大納言家は断絶してしまいました。
その後の所在は不明、徳川政権下では大和国内の数ヶ所に所領を与えられていたと言います。
しかし元和年間(1615〜1624年)にはそれらの地が天領(幕府領)となっている≒召し上げられているため、彼女一代限りの条件だったのでしょう。
そして元和6年(1620年)2月28日または3月28日(寺の過去帳により異なる)、慈雲院は世を去ったのでした。


