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【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】:2ページ目
才能におごり高ぶり、家臣たちをえこひいき
……此者元より醇良にもあらぬ人の。思いの外時に逢しより。次第に驕奢につのり奸曲の挙動ども少からず。御家人の内舊功ある者も。己が意にかなはざればあしざまにいひなし。又おのが心に志たがへばよくとりなしければ。御家人いづれも内には憎み怨ぬ者もなかりしかど。両殿の御用にたち威勢ならびなければ。たれ有てそが悪事を計発する者もなし。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
しかし出世するにつれて次第におごり高ぶるようになり、よからぬ事も少なからず行っていたようです。
家康・信康に重用された弥四郎は家臣たちをえこひいきし、武功があっても気に入らない者は遠ざけ、へつらい者は取り立ててやったと言います。
それでみんな内心では弥四郎を恨んでいたものの、面倒ごとに巻き込まれまいとあえて告発するようなことはありませんでした。
もう我慢できぬ!近藤ナニガシの怒り
……かゝる所に近藤何がし戦功有て采地賜はるべきにより。弥四郎が許に行て議しけるに。弥四郎いふ。御辺がことはわれよきにとりなせしゆへこの恩典にも逢しなり。この後はいよいよ精仕して我にな疎略せそといへば。近藤いかつて何ともいはず直に老臣の許に行て。新恩の地返し奉らむといふ。いかなる故と問ふにしかじかのよし述て。某いかに窮困すればとて。あの弥四郎に追従して地を賜はらん様なるきたなき心はもたず。もし彼がいふ所のことくならんには。一粒なりとも受奉りては。武夫の汚名これにすぎず。かゝること申出で御咎蒙り腹切むも是非なし。恩地は返し奉らんと云てきかざれば。老臣等も詮方なくそのよし御聴に達しければ。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
そんな中、近藤ナニガシという者が戦功によって所領を賜わりました。すると弥四郎がこんなことを言い出します。
「此度の恩賞は、わしが口添えしてやったお陰じゃからな。この恩義を忘れぬように」
「……」
近藤ナニガシは何も言わずにその場を立ち去り、家老たちに詰め寄りました。
「こたび新恩の所領はお返し申す!」
いったい何事かと家老たちが尋ねると、近藤ナニガシは鼻血を噴かんばかりに訴えます。
「それがし如何に困窮しようと、あの弥四郎におべっかを使って知行にあずかろうなど、そこまで落ちぶれてはおらぬ!」
「あんなヤツの口添えで米一粒でも貰ったら、武士として末代までの恥辱。この態度が気に入らんと言うなら、切腹でも何でも受けてやる!」
この一件についてどうしたものか、家老たちは家康に報告しました。
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