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何人登場する?お葉だけじゃない、徳川家康の十数名もの側室を一挙紹介【どうする家康】:4ページ目
於仙(おせん)
生年不詳~元和5年(1619年)10月25日没
家族:宮崎泰景の娘
備考:天正年間(武田の滅亡後≒天正10・1582年以降と推測)に家康の側室となるが、子供はなし。
於梅(おうめ)
天正14年(1586年)生~正保4年(1647年)9月11日没(享年62歳)
家族:青木一矩の娘
備考:家康の没後、本多正純(本多正信の子)と再婚する。正純が謀叛の疑いで失脚すると出家して単身で駿河へ移住。伊勢国山田で亡くなった。
阿茶局(あちゃのつぼね)
弘治元年(1555年)2月13日生~寛永14年(1637年)1月22日没(享年83歳)
別名:須和(実名)、民部卿、一位局など
家族:飯田直政の娘
備考:最初は神尾忠重に嫁ぐが死別、のち家康の側室となる。戦場にも連れられ、小牧・長久手合戦の陣中で懐妊するも流産。以降、子供は産んでいない。
亡くなった西郷局に代わって徳川秀忠・松平忠吉を養育し、大坂冬の陣(慶長19・1614年)では豊臣方との和平交渉にも尽力している。
後水尾天皇より従一位を叙位されたため、一位局・一位尼などと称された。
於牟須(おむす)
生年不詳~天正20年(1592年)6月18日没
家族:出自不詳(三井氏の娘?)
備考:はじめ同族とされる三井弥一郎に嫁ぐが、弥一郎は小牧・長久手の合戦で討死。幼子を連れて家康の側室となり、三人衆(特にお気に入りの側室三人。残り二人は茶阿局と阿茶局)に数えられるほど寵愛される。
家康の子を出産するも、難産のため母子ともに亡くなった。
於松(おまつ)
生没年不詳
家族:出自不詳
備考:ほとんど謎の女性。『源流綜貫』によれば天正10年(1582年)に家康の落胤・松平民部を産んだとされるが、ちょうど家康が厄年であったため認知されなかったとの説も。
三条氏(さんじょうし)
生没年不詳
家族:三条氏の娘
備考:ほとんど謎の女性。『源流綜貫』によると天正17年(1589年)に家康の落胤である小笠原権之丞を産んだと伝わる。ただし『御降誕考』だと権之丞は継室・朝日姫の侍女「大さい」が産んだという。
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