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何人登場する?お葉だけじゃない、徳川家康の十数名もの側室を一挙紹介【どうする家康】:2ページ目
西郡局(にしのこおりのつぼね)
生年不詳~慶長11年(1606年)5月14日没
別名:時姫
家族:加藤義広の娘⇒鵜殿長忠の養女
備考:鵜殿長照(演:野間口徹)・田鶴(演:関水渚)の義姪にあたる。家康に従って江戸に移住後、戦災で焼失した鵜殿家の菩提寺・長応寺を品川に再建した。
小督局(こごうのつぼね)
天文17年(1548年)生~元和5年(1620年)12月6日没(享年73歳)
別名:於古茶(おこちゃ)、於万(おまん)の方など
家族:永見貞英の娘
備考:家康の次男・於義丸(後の結城秀康)を産む。築山殿の意向により浜松城を追われ、成長した秀康に従って越前北ノ庄(福井県福井市)へ移住。現地で没した。
また一説には秀康と同時に双子の永見貞愛(ながみ さだちか)を産んだとも言われる。
西郷局(さいごうのつぼね)
天文21年(1552年)生~天正17年(1589年)5月19日没(享年38歳)
別名:於愛の方
家族:戸塚忠春の娘⇒西郷清員の養女
備考:家康の三男・長松(後の徳川秀忠)、四男・福松丸(後の松平忠吉)を産む。美人で温厚誠実な性格が家康はじめ人々から愛された。強度の近眼で盲目の女性に同情し、手厚く保護したと言う。
於竹(おたけ)
生年不詳~寛永14年(1637年)3月12日没
家族:諸説あり(父は市川昌永?穴山信君?秋山虎康?武田信玄?)
備考:天正8年(1580年)に家康の三女・振姫(ふりひめ)を産んだとされるが、於都摩(下山殿)が産んだとの説も。
於都摩(おつま)
永禄7年(1564年)生?~天正19年(1591年)10月6日没(享年28歳)
別名:下山殿、秋山夫人など
家族:秋山虎康の娘⇒穴山信君の養女
備考:天正10年(1582年)、武田家の滅亡直前に穴山信君(演:田辺誠一)が織田信長(演:岡田准一)に降伏した時に家康へ嫁ぐ。家康の五男・万千代(後に武田信吉)を産む。
茶阿局(ちゃあのつぼね)
天文19年(1550年)生?~元和7年(1621年)6月12日没(享年72歳)
別名:久(実名)
家族:出自不明
備考:元は鋳物師の妻だったが、美人だったため横恋慕した代官に夫を殺される。仇討ちを家康に訴え出たのがきっかけで側室になった。家康の六男・竹丸(松平忠輝)と七男・松千代(元服前に死去)を産んだ。
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