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何人登場する?お葉だけじゃない、徳川家康の十数名もの側室を一挙紹介【どうする家康】:3ページ目
於亀(おかめ)
天正元年(1573年)生~寛永19年(1642年)9月16日没(享年70歳)
家族:父は志水宗清、母は龍雲院(東竹甲清女)
備考:はじめ竹腰正時に嫁いで竹腰正信を産むが、夫と死別。後に石川光元と再婚して石川光忠を産むが、離縁される。22歳の時に家康と三度目の結婚、家康の八男・松平仙千代(元服前に死去)と九男の五郎太(後の徳川義直)を産んだ。
於久(おひさ)
生年不詳~元和3年(1617年)2月17日没
家族:間宮康俊の娘
備考:家康の四女・松姫を産むが4歳で早世。なお、松姫の生母は於梶とも言われる。
於万(おまん)
天正5年(1577年)生~承応2年(1653年)8月22日没(享年77歳)
家族:父は諸説あり(正木頼忠?蔭山氏広?)母は智光院⇒江川英長の養女
備考:三浦一族の末裔。父が北条一族の滅亡に伴い失脚すると、江川英長の養女として家康の側室となる。家康の十男・長福丸(徳川頼宣)と十一男の鶴千代(徳川頼房)を産んだ。
於梶(おかち)
天正6年(1578年)11月9日生~寛永19年(1642年)8月23日没(享年65歳)
家族:父は太田康資、母は法性院(父母とも諸説あり)
備考:幼名は「おはち(八)」だったが、家康の命により「おかち(梶、勝)」に改名。家康の五女・市姫を産んだ。これが家康にとって最後の子(以上、十一男五女)となる。
聡明かつ男勝りな女性として知られ、多くの逸話が伝わった(ほとんど創作だが、家康に寵愛されたことの証左でもある)。
於富(おとみ)
生年不詳~寛永5年(1628年)7月8日没
別名:山田富子(実名)
家族:山田氏
備考:ほとんど謎の女性。戒名は信寿院日富神尼。墓所は池上本門寺(東京都大田区)にある。
於夏(おなつ)
天正9年(1581年)生~万治3年(1660年)9月20日没(享年80歳)
別名:奈津
家族:長谷川藤直の娘
備考:家康の寵愛を受けるも子供はなし。家康没後も長生きし、第4代将軍・徳川家綱(いえつな。家康の曾孫)の代まで命を永らえ大切にされたという。
於六(おろく)
慶長2年(1597年)生~寛永2年(1625年)3月28日没(享年29歳)
家族:黒田直陣の娘
備考:於梶の部屋子から家康の側室となる。家康の死後は出家するが後に喜連川義親と再婚した。
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