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竹千代はいかにして徳川家康となったのか?名前の変遷をまとめて紹介!【どうする家康】:2ページ目
松平元信(15歳)
竹千代君御とし十五にて今川治部大輔義元がもとにおはしまし御首服を加へたまふ。義元加冠をつかうまつる。関口刑部少輔親永(一本義廣に作る。)理髪し奉る。義元一字をまいらせ。 次郎三郎元信とあらため給ふ。時に弘治二年正月十五日なり……
※『東照宮御實紀』巻二「弘治二年竹千代加冠稱元信」
15歳で元服した竹千代が、一年間だけ用いた諱(いみな。忌み名=実名)です。主君である今川義元(演:野村萬斎)から元の一字を拝領したことで知られます。
通称は次郎三郎(じろうさぶろう)、これまた松平家に代々受け継がれたものでした。
松平元康(16~19歳)
主君から拝領した元はそのまま、豪傑として名を馳せた祖父・松平清康(きよやす)から康の一字を拝領しました。
……御名を 蔵人元康とあらためたまふ。これ御祖父 清康君の英武を慕わせられての御事とぞ聞えける……
※『東照宮御實紀』巻二「元信改名元康」
蔵人(くらんど/くろうど)とは官職の一つで、本来なら朝廷より授かるものですが、当時は多くの大名勢力において私称されたようです。ここでは義元が元康に名乗ることを許したのでした。
松平家康(20~24歳)
さて、桶狭間の合戦をキッカケに今川と決別した元康は、亡き義元から拝領した元の字を返上。継父の久松長家(演:リリー・フランキー)から家の字を拝領して家康と改名しました。
…… 君ことし御名を 家康とあらため給ふ。(永禄四年十月の御書に 元康とあそさばされ(※あそばされ?原文ママ)。五年八月廿一日の御書には家康とみゆ。)……
※『東照宮御實紀』巻二「永禄五年元康改名家康」
正確な時期は不明ながら、永禄5年(1562年)に入ってから8月21日までの間に改名したと考えられます。
ちなみに、久松長家はこれを機に久松俊勝(ひさまつ としかつ)と改名。主君の頭文字を踏みつけることを遠慮したのでした。
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