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毘沙門天の化身も認めた!徳川家康の「海道一の弓取り」ぶり。『徳川実紀』を読んでみた【どうする家康】:2ページ目
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17歳で初陣(寺部城の合戦)を飾ってこの方、桶狭間(大高城の兵粮入れ、丸根砦・鷲津砦の攻略など)を機に三河一国の主に成り上がった家康。
更には三河一向一揆を鎮圧して武田信玄(演:阿部寛)と鎬を削り、盟友・織田信長(演:岡田准一)の危機をたびたび救う(金ヶ崎の退口、姉川合戦)など、而立(じりつ。30歳)を前に早くも名将としての評価を確立していたそうです。
甲斐・信濃の両国(山梨県・長野県)を統治している武田信玄を南北から挟み撃ちにしたい目的(遠交近攻)もあってか、徳川・上杉両家の連携はその後末永く続いたのでした。
終わりに
さて、そうなると面白くないのが武田信玄。北に上杉、南に徳川……それじゃあ南から行こうと再び魔手を伸ばすことに。
……三年閏三月金谷大井川辺御巡視ありしに。此頃信玄入道は当家謙信入道と御合体ありといふを聞大に患ひ。しからばはやく 徳川氏を除き後をやすくせんと例の詐謀を案じ出し……
※『東照宮御実紀』巻二 元亀元年-同三年「家康絶信玄」
【意訳】元亀3年(1572年)閏3月、金谷・大井川のあたりを家康が巡視していた。このころ、信玄は徳川と謙信の交流を聞いてこれを危険視、早い内に徳川を滅ぼして後顧の憂いを断とうと例の謀を繰り出すことに……。
「例の詐謀」とは前に家康と共同で今川氏真を滅ぼし、遠江(徳川)と駿河(武田)をそれぞれ分け合っておきながら、後から欲を出して遠江への進出(≒家康の暗殺)を企んだ一件。
いよいよ打倒徳川に本腰を上げる「甲斐の虎」武田信玄。これが間もなく三方ヶ原の合戦につながります。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では家康と謙信の関係、そして松本潤と阿部寛の対決がどのように描かれるのか、楽しみですね!
※参考文献:
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