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戦国大名はこの人から始まった!小田原北条氏の祖、日本史上最初の戦国大名・北条早雲の大活躍

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家督争いで名を上げる

ところで北条早雲という名前ですが、これは後でついた俗称で、実名は伊勢新九郎盛時と言いました。また法名は早雲庵宗瑞で、伊勢宗瑞と書かれることもあります。ここでは通称の北条早雲で統一します。

さて前述の今川家の家督争いに参戦した早雲は、家督の地位にある小鹿範満を討ちます。これにより、龍王丸は正式に今川家の新当主となり、元服を経て氏親を名乗るようになりました。

さらにその後、早雲は幕臣という立場であるにも関わらず、今川氏の領内だった興国寺(現・静岡県沼津市)にとどまり、そこを拠点に関東や伊豆方面へと出兵するようになります。

ここで起きたのが、細川政元が傀儡の将軍・足利義澄を立ててクーデターを起こした明応の政変です。

「戦国武将」としてのデビュー

新将軍である義澄の命を受け、早雲は堀越公方の足利茶々丸を討ちました。

足利茶々丸は義澄の異母兄にあたりる人物で、堀越公方に就任したばかりの立場でした。彼自身は鎌倉公方に復帰することを希望していたのですが、幕府および将軍とは対立していたため、早雲に討伐されることになったのです。

これが、北条早雲にとっては戦国大名としての本格デビューだったと言えるでしょう。

彼はこの堀越公方討伐の勢いに乗り、相模へ進出して小田原城を奪い取るなど、どんどん勢力範囲を拡大していきます。

もともと彼は、立場上は今川氏に属していたのですが、このあたりになると独立した形で動くようになっていきました。そして1498年に伊豆一国を平定、そして1516年には、扇谷と山内上杉氏の争いの隙をつく形で三浦氏を打ち破って相模を平定するなど、目覚ましい活躍を見せます。

こうして、平定した伊豆・相模を拠点とした、早雲による独自政権が築かれていきます。彼の伊豆への討ち入りに協力した家臣は御由緒六家という名称で重用されました。

こうして、その後も五代100年続くことになる小田原北条氏の祖は、歴史に名を刻むことになったのです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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