『吾妻鏡』が伝える源頼朝のエピソード「歯痛のツラさはみな同じ」【鎌倉殿の13人 外伝】:3ページ目
再発、そして三崎クルージング
しかし翌建久6年(1195年)、頼朝の歯痛が再発してしまいます。薬が切れてしまったのか、ちゃんとアドバイスを守らなかったのか……。「もう治ったからいいよね」という自己判断は危険なのです。
將軍家御齒御勞再發云々。
※『吾妻鏡』建久6年(1195年)8月19日条
【読み下し】将軍家、御歯の御労り再発とうんぬん。
【意訳】頼朝の歯痛が再発したとのこと。
それから7日ほど経って、少し歯痛がよくなった頼朝は舟を出して三崎まで遊びにいきました。現代の感覚なら、豪華クルージングと言ったところでしょうか。
齒御勞事。聊御平愈之間。自御舟歴海浦。渡御三崎。有御遊覽等。今度自京都御下向之後。未及此儀云々。
※『吾妻鏡』建久6年(1195年)8月26日条
【読み下し】歯の御労りのこと。いささかご平癒のかん、御舟より海浦をめぐり三崎へ渡御し、ご遊覧などあり。こたび京都より御下向の後、いまだこの儀に及ばざるとうんぬん。
【意訳】頼朝の歯痛が少しよくなったので、久しぶりに舟を出して三崎(現:神奈川県三浦市)まで遊びに行った。
文中、京都から帰ってきて以来ずっとご無沙汰……みたいな空気を出していますが、頼朝たちが帰って来たのはつい先月のこと。
上洛中の期間を含めても約半年。よほど頻繁に三崎クルージングを行なっていたのでしょうか。
その後、頼朝の歯痛に関する記事はありません。しっかりと痛みがとれたのか、それとも生涯にわたってごまかし続けたのか、今後の究明が俟たれますね。
終わりに
以上『吾妻鏡』より頼朝の歯痛エピソードを紹介してきました。
それまであまり健康不安(病気に関する記述)のなかった頼朝ですが、この口腔トラブルがさまざまな病気を惹き起こし、それが4年後の急死につながったとする説もあるようです。
歯周病は糖尿病や動脈硬化(心筋梗塞・脳梗塞)、がんや認知症、誤嚥性肺炎などの一因となることから、十分な口腔ケアが必要なことは現代も同じ。私たちも、気をつけていきたいですね。
※参考文献:
- 小西昭彦『歯周病の新常識』阿部出版、2020年8月
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 6富士の巻狩』吉川弘文館、2009年6月