『吾妻鏡』が伝える源頼朝のエピソード「歯痛のツラさはみな同じ」【鎌倉殿の13人 外伝】:2ページ目
ただ薬を飲むだけでは治らない……そう思ってか、頼朝は専門家のアドバイスをもらうために京都へ飛脚を出します。
歯御勞事。爲被尋療法於京都醫師。態所被立飛脚也云々。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)9月26日条
【読み下し】歯の御労りのこと。京都の医師において療法を尋ねらるため、わざわざと飛脚を立てらるところなりとうんぬん。
【意訳】歯痛について、よい治療法を尋ねるため、京都へ飛脚を派遣したとのこと。
さて、京都に着いた飛脚は朝廷で典薬頭(くすりのかみ。医療長官)を務める丹波頼基(たんば よりもと)からアドバイスと良薬を受け取りました。
齒御療治事。頼基朝臣注申之。其上獻良藥等。藤九郎盛長傳進之。彼朝臣者。參河國羽渭庄。爲關東御恩。所令領知也。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)10月17日条
【読み下し】歯の御療治がこと。頼基朝臣これを注申す。その上、良薬など献ず。藤九郎盛長これを伝え進ず。かの朝臣は、三河国羽渭庄を関東の御恩となし、領知せしむところなり。
【意訳】歯の治療について、典薬頭の丹波頼基からよい薬とアドバイスが届けられた。安達盛長がこれを取り次いだ。頼基は三河国羽渭庄(現:愛知県豊川市)を頼朝から与えられていた。
「報酬を弾んだ甲斐がありましたな」
「うむ。よき薬を正しき用法用量で……そして念のため」
御家人の足利義兼(あしかが よしかね)に命じて、日向薬師堂(現:神奈川県伊勢原市)へ代理参拝させます。ご祈祷の目的は、もちろん歯痛の快癒です。
上総介義兼爲御使。參日向藥師堂云々。爲齒御勞御祈也云々。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)10月18日条
【読み下し】上総介義兼を御使となし、日向薬師堂へ参ずとうんぬん。歯の御労り御祈りのためなりとうんぬん。
【意訳】頼朝は足利義兼に日向薬師堂の代参を命じた。歯痛の快癒祈願である。
かくして諸々の処置が効いたらしく、しばらく頼朝は歯痛から解放されたのでした。