源頼家に妻を奪われたが…泰時の盟友・安達景盛(新名基浩)が剛腕政治家に成長するまで【鎌倉殿の13人】:2ページ目
実朝に忠義を尽くし大活躍
その後も景盛は実朝と政子の側近として活躍、元久2年(1205年)には旧友である畠山重忠(演:中川大志)討伐の先陣として戦います。
更に牧氏の変(北条時政による実朝暗殺計画)、平賀朝雅(演:山中崇)暗殺、宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)謀反未遂など多くの案件で幕府の決定に影響を及ぼしました。
建暦3年(1213年)には和田義盛(演:横田栄司)ら一族を滅ぼし、建保6年(1218年)に実朝が右近衛少将に叙任されると、景盛は秋田城介(あきたじょうのすけ。出羽城介)に任じられます。
以来、この秋田城介の官職は代々安達家が世襲することになりました(途絶期あり)。
また所領としては武蔵・上野(現:東京都・埼玉県・群馬県)と出羽(山形県・秋田県)地方を治め、勢力基盤を強固なものとします。
建保7年(1219年)に実朝が暗殺されると菩提を弔うために出家、法号を大蓮房覚地(だいれんぼう かくち。覚智)と称しました。
亡き実朝の為に高野山に金剛三昧院を建立、現地に隠棲したため高野入道とも呼ばれた景盛ですが、遠く離れていながら鎌倉幕政に参与し続けたと言います。
実朝の菩提を熱心に弔いながら、実朝が安心して成仏できるよう鎌倉の行く末にも目を光らせ続けた景盛は、テレワークのはしりとも言えるでしょうか。
もちろんここ一番では鎌倉へ戻り、承久の乱(承久3・1221年)に際しては政子の檄文(演説)を代読し、北条泰時(演:坂口健太郎)に従って東海道を上洛しました。
劇中では少年時代から喧嘩していたやんちゃ仲間と堂々の上洛。大河ドラマでもしっかりと描かれるのが楽しみですね。
ほかにも泰時とは親密な関係を保っており、泰時の嫡男・北条時氏(ときうじ)に自分の娘(後の松下禅尼)を嫁がせ、生まれた北条経時(つねとき)・北条時頼(ときより)は後に執権となりました。