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「寿司」と「鮨」の違いは?さらに「鮓」まである!?その語源と由来をさぐる:2ページ目
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すしの起源は?
さて現在は「寿司」と「鮨」はどちらも同じ意味で、使い分けの決まりもありません。
しかし一般的には、ネタに魚だけを使うタイプのすし(伝統的なおすし屋さんなど)については「鮨」と表記し、いなり寿司など魚以外のネタも使うタイプのすし(例えば回転寿司など)については「寿司」と表記することが多いようです。
そもそも、すしの起源は、紀元前4世紀頃の東南アジアに求められます。
この地域では水稲農耕が盛んに行われており、米を発酵させて長持ちさせる保存技術も編み出されました。この技術を応用し、米と魚を同時に発酵させるるようになったのが、すしの始まりです。
日本には、奈良時代に中国経由で伝わりました。
日本の最初のすしは、甘酒を混ぜた米と川魚を使った「馴れずし」です。その後、押しずしや箱ずしなど多種多様なすしが生み出されました。
現在の酢飯が使われるようになったのは、安土桃山時代に「酢」が調味料として一般的になってからのことです。
江戸前鮓が全国に伝わる
江戸時代には、酢飯と魚の切り身を一緒に握る江戸前鮨が生まれました。
屋台で、目の前で握られる江戸前鮨は、新鮮な江戸前(東京湾)の魚を手軽に食べられるということで大流行し、職人の人数も一気に増えました。
ちなみに、この頃の握りずしの大きさは現代の2倍ほどで、小さめのおにぎりくらいだったそうです。
そしてさらに、関東大震災をきっかけに、この江戸前鮨が全国に広まります。東京で被災した江戸前鮨の職人たちが故郷に帰り、各々の土地ですしを広めたのです。
こうして、職人たちが全国各地で、さまざまな特色を持つすしを生み出していったのです。
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