銭湯でコミュニケーション!混浴があたりまえだった江戸時代のおもしろ風呂文化:2ページ目
江戸中期までは混浴
当時は水も薪も貴重だったという理由から、江戸中期ごろまではお風呂は混浴だったといいます。混浴は当時の言葉で「入込湯(いりこみゆ)」と呼ばれていました。
どんだけ混浴したいの!何度禁止しても復活し続けた江戸時代の混浴の歴史
とはいえ、男性も女性も素っ裸で入るのではなく、江戸初期ごろは男性であればふんどしをしたまま、女性であれば湯文字(ゆもじ:腰巻のようなもの)をしたまま入っていたそうです。
男女ともに下着のようなものを着用して入っていたお風呂ですが、次第に裸で入るようになります。なかには性行為に及んでしまう人もいたとか。風紀の乱れを心配した幕府は、「寛政の改革」によって男女の混浴を禁止しました。
どちらの財政政策も理にかなっていた。江戸時代の田沼意次の財政政策と松平定信の寛政の改革
自分の風呂桶を使う人も
現代でも、風呂桶を他の人と共有するのに抵抗がある人もいるでしょう。
それは江戸時代も同じだったようで、留桶(とめおけ)という自分の名前を書いた桶を置いておくこともできました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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