どんだけ混浴したいの!何度禁止しても復活し続けた江戸時代の混浴の歴史
江戸時代のお風呂は、基本的には混浴が普通でした。今回はそんな混浴の歴史を辿ります。
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VS 松平定信
さて、現代のように裸が恥ずかしいという観念があまりなかった江戸時代。人々は今よりかなり、いや、めちゃくちゃおおらかに混浴パラダイスを謳歌していました。
しかし、元号が完成に変わり、時の老中・松平定信によって寛政の改革が行われると、その一環として寛政3年(1791)に混浴が禁止されました。「白河の清きに魚も住みかねて・・・」と詠われるほど厳粛な改革でしたから、混浴なんて松平定信からしたらもってのほかだったのです。
そこで初めて、「男湯」「女湯」が登場したわけです。しかし、湯屋だって黙っていません。なんと女湯の天井に覗き戸をつけて、男湯の二階から覗けるようにした店が流行したというのだから、改革もへったくれもありません。
その後、あまりに厳しすぎる改革に、老中・松平定信は不評を買い、失脚。またむくむくと混浴の習慣は復活してきて、またもや江戸には平和な(?)混浴パラダイス時代が訪れます。
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