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どんだけ混浴したいの!何度禁止しても復活し続けた江戸時代の混浴の歴史

どんだけ混浴したいの!何度禁止しても復活し続けた江戸時代の混浴の歴史:2ページ目

VS 老中・水野忠邦

さて、時は流れ、天保12年(1841)。またもや厳格な老中・水野忠邦の天保の改革によって混浴は禁止されます。それでも法の目をかいくぐり、混浴の風習はしぶとく生き残ったまま、幕末に突入。

1853年、来日したペリーの「日本遠征記」によると、「男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。他の東洋国民に比し、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民である」。

注目すべきは、「なんとも思わず」という言葉です。当時の日本人は、男女が互いに裸であるという事がなんらおかしいことではなく、特に気にしてもいなかった様子がうかがえます。

そして明治、昭和へ

明治維新後、明治新政府は欧米への体裁を気にし、混浴禁止令をたびたび出しましたが、なかなか改まらず、都市部でも混浴が廃れたのは明治末期になってからでした。それでも地方の温泉地などの多くでは混浴が当たり前という時代が昭和30年代まで続きます。日本、どんだけ混浴続けたいのよ~! (笑)

参考文献:杉浦日向子「一日江戸人」新潮文庫渡辺京二「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)

 

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