まさに法悦!やんごとなき女性たちの人生を狂わせてしまった念仏僧侶のエピソード:2ページ目
念仏に狂わされた、やんごとなき女性たちの人生
時は鎌倉時代初期の建永元年(1206年)、後鳥羽(ごとば)上皇に松虫(まつむし)と鈴虫(すずむし)と名づけられた側室(女房)がいました。
上皇は二人をたいそう寵愛していましたが、ある日、上皇が熊野詣に出ていた留守中、二人は御所を抜け出してしまいます。
「ねぇ、本当に行くの?バレたら大事になるわよ?」
「バカね。バレなきゃいいのよ……と言うか、念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるんだから、バレたって何も怖くないんだから……!」
彼女たちの目的は、安楽房(あんらくぼう)と住蓮房(じゅうれんぼう)の開いていた念仏法会(ねんぶつほうえ)に参加すること。念仏法会とは文字通り「仏を念じて法=仏の教えを説く会」なのですが、実際は「僧侶たちの美声(イケメンボイス)に酔いしれるライブコンサート」状態だったようです。
「あぁ……来てよかった……最高!」
「……私、決めた!」
幾重にも反響し合う僧侶たちの読経と、酔いしれる女性たちの黄色い嬌声があふれ返るライブ会場、もとい念仏法会の熱狂に呑まれた二人は、その場で出家してしまったのでした。
おとなしく帰ればバレなかった(少なくとも、見逃してもらえた)だろうに、時の権力者である後鳥羽上皇の側室が出家してしまったニュースは、たちまち世間を騒がせます。
「おのれ……朕(ちん。陛下の一人称)に恥をかかせおったな!」
松虫と鈴虫が不倫をしたという噂まで立ち、面目をつぶされてしまった上皇は、安楽房と住蓮房を捕らえて斬首とし、彼らの師匠であった法然上人(ほうねんしょうにん。浄土宗の開祖)と、先輩弟子の親鸞聖人(しんらんしょうにん。後に浄土真宗の開祖)を流罪に処したのでした。
松虫と鈴虫の末路については不明ですが、寵愛を失って放逐され、勅勘(ちょっかん。陛下のお怒り)をこうむっているため受け入れてくれる尼寺もなく、野垂れ死んだものと思われます。