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徳川家康の遺言は東照宮をレイライン上に置くこと:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【4】

徳川家康の遺言は東照宮をレイライン上に置くこと:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【4】:2ページ目

②真ん中のライン-久能山東照宮と日光東照宮を結ぶ

途中に、富士山を通過し、世良田東照宮が置かれている。

富士山を起点としたレイラインは他にも出雲大社をつなぐ「ご来光の道」がある。中間には近畿の五芒星の2か所(伊吹山と元伊勢)を通る。

江戸時代、富士山は家康のものだったが、家康から富士山本宮浅間大社に寄進された。しかし明治維新後、神社は国家管理となったため国有地化されるも、国と神社の間で法廷闘争が行われ、2004年、8合目から上の土地の権利が浅間大社に戻った。

③左の東西のライン-久能山東照宮から岡崎城を結ぶ

途中に駿府城、鳳来山東照宮がある。岡崎城(家康が生まれた城)の真北には大樹寺。仏教では東西ラインは生と死、輪廻転生を象徴する。

現代のデジタルマップで確認しても、これほどまでに正確なレイラインを描くのは、当時の天文観測の技術とはいえ、本当にすごい。

天文学者の渋川春海が活躍したのは、家康公没後半世紀ほど後である。さらに後の伊能忠敬が日本全国を測量したのは、1800~1816年にかけてだ。

家康公にちなんだ聖地は、レイライン上に置かれている、ということがわかってきたが、それが仙台までつながっていることを発見したのは、レイラインという概念を知ってからの、ここ2~3年のことである。

【3】にも書いたが、伊達政宗と徳川家康の間で、都市計画に関する相互の情報交換が行われていたことは、想像に難くない。

参照:星の街仙台

 

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