徳川家康の遺言は東照宮をレイライン上に置くこと:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【4】
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静岡方面では観光資源にもなっている【東照宮を巡る聖なる3本のライン】。
久能山東照宮のある日本平ロープウェイ乗り場の看板やパンフレットでも紹介されています。
徳川家康の遺命で、死後の墓と、御霊を祀る東照宮の場所が決められた。
遺体は久能山に葬られ、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国(愛知県岡崎市)の大樹寺に位牌を納め、一周忌を経て日光東照宮に分霊された。
家康公の神号は「東照大権現」。側近の天海、崇伝らの間で”権現”と”明神”のいずれかでもめたが、豊臣秀吉が「豊国大明神」のため不吉とされ、薬師如来を本地とする”権現”に決まった。
①右のライン-江戸城と日光東照宮を結ぶ
家康公は死んで宇宙の中心・天帝(北極星)になるべく江戸のほぼ真北に遷座された。そして陽明門の真後ろに北極星が現れ、宇宙エネルギーを吸収し江戸へと流れるように設計されているそうだ。
ちなみに、日光東照宮の標高と東京スカイツリーの高さは同じ634mである。