たった一人で織田軍を足止めした歴戦の武者・笠井肥後守高利の壮絶な最期【前編】:4ページ目
御屋形様の一大事!追っつき参る肥後守
「……御屋形様、いかがなされた!早うお逃げ下され!」
時は流れて天正三1575年5月21日、亡き信玄公の跡目を継いだ四郎勝頼公が後世に言う「長篠の合戦」で織田・徳川連合軍に大敗。初鹿野伝右衛門(はじかの でんゑもん)と土屋惣藏昌恒(つちや そうぞうまさつね)たった二人の家来を連れて、ひた駆けに退却していた時の事です。
「馬が!馬が進まんのじゃ!……こやつめ!走れっ、走らんかっ!」
激しい戦で草臥れ切った勝頼公の馬は、いくら鞭を叩きこんでも、二進も三進も行きません。その後方からは、織田・徳川の軍勢が猛然と追撃してきます。
「主君を置いては逃げられぬ……惣藏よ、最早これまでじゃ!」
「おうよ伝右衛門……かくなる上は、武田の意地を見せてくりょうぞ!」
そう覚悟を決めた伝右衛門と惣藏の前に、一騎の武者が馳せ参じました。
「……暫く!暫く……っ!」
乱戦の中で主君とはぐれながらも、決死の覚悟で血路を斬り開き、ようやく追いついた笠井肥後守高利その人でした。
※参考文献:
笠井重治『笠井家哀悼録』昭和十1935年11月
皆川登一郎『長篠軍記』大正二1913年9月
長篠城趾史跡保存館『長篠合戦余話』昭和四十四1969年
高坂弾正 他『甲陽軍鑑』明治二十五1892年