西郷どんとともに英断を下した徳川慶勝は元祖カメラ小僧だった[後編]:2ページ目
2ページ目: 1 2
維新後のカメラライフ
慶勝が弟・茂徳に命じた助命嘆願により、幕府側の会津藩主・容保や、桑名藩主・定敬は生き永らえました。老後に4兄弟は再会し、写真撮影をしました。
こちらの画像は高須四兄弟(明治11年9月撮影)。左から松平定敬、松平容保、徳川茂徳、慶勝。
出典元:Wikipedia
しかし慶勝は戊辰戦争では会津にも出兵しており、容保は兄でありながら自藩を攻撃されたという複雑な思いがあったようです。定敬も当然良い感情は抱いていなかったでしょう。したがって上の集合写真も、維新から10年以上も経っているにも関わらず、心なしか容保と定敬は慶勝から目を逸らしているような気がします。
一方、慶勝のカメラ好きは相変わらず健在でした。しかも自由のなかった藩主時代と違い、明治になってからは堂々と一般庶民に混ざって散歩ができるようになったため、撮影範囲も広がり、ますます楽しいカメラライフを送ったのでした。
参考文献:勤皇誘引書類目録 徳川林政史研究所所蔵[PDFファイル]
ページ: 1 2