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西郷どんとともに英断を下した徳川慶勝は元祖カメラ小僧だった[前編]

西郷どんとともに英断を下した徳川慶勝は元祖カメラ小僧だった[前編]

日本の元祖カメラ小僧はお殿様

そんな中、コロジオン湿板写真と運命的に出会い、魅了されてしまったお殿様がいました。彼の名は、徳川慶勝(とくがわ よしかつ)。西郷どんとともに、ある英断を下した14代尾張藩主です。今回は、元祖カメラ小僧である彼をクローズアップします。

画像:徳川慶勝 Wikipediaより

慶勝、自撮りに成功する

幕末、開国の影響で日本に伝わった湿板カメラでの写真撮影技術。しかしカメラは今と違い大変貴重なものである上、撮影から現像まで全ての工程を自分で行わなくてはならず、庶民が趣味にするにはお金と手間のかかりすぎるものでした。カメラはもちろん、現像液や現像作業のための暗い部屋も必要だったわけですが、その全てを問題なく用意できたのは、裕福な徳川尾張藩の藩主・慶勝だったからこそでした。

慶勝が最初に撮影に成功したのは文久元年(1861)9月の事でした。それが、安政4年(1857)の薩摩藩主・島津斉彬に続いて日本人で2番目に成功した自画像撮影だったのです。現代で巷にあふれるセルフィーの走りと言えるかもしれません。

しかし、そこで終わらないのが慶勝なのです。現像したその記念すべき初セルフィーを眺め、「盛れてねえーーーー!」と言ったかどうかは分かりませんが、どうやら気に入らなかったらしく、全く同じ構図で翌年に撮り直した写真がこちら。

画像:徳川慶勝Wikipedia

2度目の撮影、今度は気に入ったようです。

3ページ目 名古屋城にまつわる、慶勝が行ったカメラ撮影による大きな功績

 

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