新世紀の仏像彫刻、それともフィギュア?仏界のガーディアンを表現する現代美術作家・上根拓馬さんインタビュー
今年3月、東京国際フォーラム(東京都千代田区)で開催された日本最大級のアートの見本市「アートフェア東京」の会場で、一際目を引くブースがありました。黒い壁面にずらりと並んだのは、宇宙人のような人造人間のような、不思議な格好をしたフィギュアたち。雲形の台座の上、身にまとった衣(?)が風にたなびいています。各々、手にした楽器(!)を奏でるその姿、実は平等院鳳凰堂(京都)の雲中供養菩薩をテーマにした現代版の仏像だったんです。従来の仏像とは大きくかけ離れたビジュアルながら、なんだかカッコイイ!
8月19日からBunkamura Box Gallery(東京都渋谷区)で個展を開催する作家の上根拓馬さんにお話をうかがいました。
−−上根さん、こんにちは。3月のアートフェア東京では、たくさんの方が上根さんの作品に注目していましたね。上根さんは、ずっとこうした仏像をテーマにした作品をつくっているんですか?
「現在のようなスタイルの作品をつくるようになったのは、2010年頃からです。仏像にもヒエラルキーがあって、頂点には悟りを開いた如来たち、その下には修行中の菩薩たちがいます。僕がいま制作しているのは、一番下の層にいて、仏界を守っているガーディアンたちです。彼らは、如来や菩薩に比べるとどこか人間じみていて、僕はそこに惹かれて制作をしています。
ガーディアンたちは数千体いると言われていますが、絵画や彫刻などの造形にされていない、文献上にしか出てこない存在がかなりいます。彼らはそれぞれ『二十八部衆』や『十二神将』などのような部隊を組んでいて、中には複数の部隊に所属しているガーディアンもいます。所属によって名前を使い分けていたり」
−−あ、それ聞いたことがあります。「毘沙門天」って、四天王の時は「多聞天」なんですよね? グループで活動したり、その中でいろんな編成があったり、なんだか日本のアイドルにも通じるものがあるような……。
「僕はちょっとひねくれた人間なので、センターの人よりも脇の人たちに興味があるというか(笑)。ふだんは部隊(グループ)として認識されている彼らですが、個々のエピソードを掘り起こして、それを形に起こしていくのが面白いんです」
−−たとえば、薬師如来であれば薬壷を持っているとか、阿修羅は三面六臂だとか、仏像には表現上の決まりごとのようなものがありますよね。上根さんは、経典にどこまで忠実につくられているんですか?
「基本的に経典に書かれている内容に沿って制作していますが、僕自身が表現したいのは宗教性ではないので、毎回の制作の趣旨に合わせて、表現上必須の要素を取り上げています。それに、持物(じもつ)については思った以上に、曖昧なんです。仏教には、各地の土着の信仰・風習を取り込みながら普及してきた歴史があります。だから国や地域によって持物が変わったりするんです。時代が下るにつれて加えられていったり、変化していったものもあると思います」
−−なるほど。経典の解釈に幅があるというわけですね。
「ただやはり宗教的な題材を扱っているので、僕自身が作品に宗教的な意味合いを持たせるつもりがなくても、僕の作品が不謹慎だと言う方はいますね」
−−そうなんですか!? 以前、鎌倉のお寺で展示をされていたこともありましたよね? 何か宗教上のタブーのようなことがあるんでしょうか?
「以前、作品展示をさせていただいたお寺の方々は、とても柔軟な考えを持っていらっしゃったのですが、中には、否定的にとらえる方もいらっしゃいました。仏が意味不明な姿で表されることに対して憤りを感じる方もいれば、従来の仏像のスタイルと異なるから受け入れられない、という方もいます。
僕たちが現在目にしている仏像の姿は、ある時代に定型化し広まったものですが、経典の文字情報から仏の姿を想像し、造形化していた当時の仏師たちの挑戦というのは、現代の美術家の制作と共通する点も多かったのではないかと僕は思っています。現存している古仏も、制作当時の最先端の技術や素材、表現方法を用いていたはずですから。
今日、現存している姿形だけを見て、自分の知識や経験の範疇の外にあるものを一様に拒否したり否定する方というのは、どうしても一定数いらっしゃるんですよね。僕は作品の制作を通じて、そうした既成概念を打ち破っていきたい、という思いがあります」
2ページ目 『フィギュア』という言葉が持つ意味を、僕たちがポジティブに拡張していければ