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武芸に優れ和歌や茶道の才能も!戦国時代のキリシタン大名・蒲生氏郷(がもううじさと)の生涯

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織田信長の死後、羽柴秀吉に仕える

信長の部下として、蒲生氏郷は大きく活躍します。伊勢大河内城の戦に初参戦し、大きな手柄を立てました。また、信長の娘の冬姫と結婚しました。

1582年、本能寺の変で信長が自刃した後は、安土城にいた信長の一族を蒲生家の居城・日野城にかくまいました。そして、この後は秀吉に従うようになりました。

1584年の小牧・長久手の戦いでも活躍した蒲生氏郷は、羽柴秀吉から伊勢国に12万石を加増され、転封しています。その後、陸奥国の会津地方への移封が命じられ、東北地方の大大名となりました。

内政にも優れ、道の整備・下水路の整備など、会津藩の基盤を築きました。

文化人としての蒲生氏郷

武芸、内政といった武士としての才能だけでなく、文化面でも造詣が深かったのが蒲生氏郷です。和歌をはじめとして、特に茶道では、「利休七哲」の1人に数えられるほどの実力がありました。

さらに、キリスト教信者でもあり、「レオ/レオン」という洗礼名を持っています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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