
武芸に優れ和歌や茶道の才能も!戦国時代のキリシタン大名・蒲生氏郷(がもううじさと)の生涯
日本史、特に戦国時代にはさまざまな武将、大名などが活躍しました。大河ドラマをはじめ、さまざまなドラマや映画で描かれる戦国時代ですが、誰もが知るような有名人以外にも、実力者・優秀な者はたくさんいました。
そこで今回の記事では、そんな戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した、蒲生氏郷(がもううじさと)にフォーカスをあて、紹介したいと思います。
織田信長や豊臣秀吉といった有名人とも深いかかわりがあり、最終的に会津藩の基盤を築いた蒲生氏郷の生涯に迫ってみましょう。
蒲生氏郷(がもううじさと)の幼少期
蒲生氏郷(がもううじさと)は、1556年(弘治2年)、近江国(現在の滋賀県)で蒲生賢秀(がもうかたひで)の三男として生まれました。父・蒲生賢秀は、「日野城(中野城)」の城主でした。
蒲生賢秀は、織田信長と敵対していた「六角氏(ろっかくし)」の重臣でしたが、永禄11年(1568年)に起きた観音寺城の戦いで六角氏が負けると、織田信長に仕えることになりました。
このとき、蒲生氏郷は13歳でしたが、信長に人質として差し出されています。
ページ: 1 2