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平安貴族は何人いたのか?彼らの階級や人数を知ることで理解が深まる『光る君へ』のバックグラウンド

平安貴族は何人いたのか?彼らの階級や人数を知ることで理解が深まる『光る君へ』のバックグラウンド:2ページ目

『光る君へ』の登場人物たちの階級は?

この位階は「官位相当制」という制度によって、「官職」に直結していました。一位なら太政大臣や関白、二位なら左大臣や右大臣、三位なら中納言や大納言というように、位階に応じて官職が決められていたのです。

こうした制度を知っておくと、大河ドラマ『光る君へ』に登場する人物たちの人間関係が、より高い解像度で理解できるのではないでしょうか。

例えば紫式部の父である藤原為時正五位下・左少弁(太政官の役人)でした。またその長男で式部の弟でもある惟規は従五位下だったので、貴族としてはもっとも低い階級だったと言えます。

四位までしか上がれない下級貴族は「受領(ずりょう)」と呼ばれました。式部のライバルとされる清少納言の父で、三十六歌仙の一人でもある清原元輔も、従五位上・肥後守を務めた受領でした。

一方、三位以上(一部四位)に叙された貴族は「公卿(くぎょう)」と呼ばれ、その数は家族を入れて100人前後だったとされています。

その頂点に立った藤原道長は、15歳で従五位下、30歳で従一位・太政大臣となり、翌年に辞任しています。

なお、位階の最高位である正一位を生前に叙されたのは、その後の時代を含めても藤原仲麻呂、三条実美など6名しか存在しません。いかに藤原道長の権勢が凄いものだったかが分かりますね。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

 

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