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「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り:2ページ目
戦後の論功行賞、真っ先に黒田長政を絶賛
……この日の戦未刻ばかり全く御勝利に属しければ。藤川の臺に御本陣をすへられ。御頭巾を脱せられて裏白といふ一枚張の御兜をめし。青竹を柄にして美濃紙にて張し麾を持しめ兜の緒を志め給ひ。勝て兜の緒をしむるとはこの時の事なりと仰られ。首実検の式を行はる。諸将も追々御陣に馳参り。首級をさゝげて御覧に備へ御勝利を賀し奉る。一番に黒田甲斐守長政御前に参りければ。御床机をはなれ長政が傍によらせられ。今日の勝利は偏に御辺が日比の精忠による所なり。何をもてその功に報ゆべき。わが子孫の末々まで黒田が家に対し疎略あるまじとて。長政が手を取ていたゞかせ給ひ。これは当座の引出物なりとてはかせ給ひし吉光の御短刀を長政が腰にささせ給ふ。……
※『東照宮御実紀附録』巻十「家康感謝黒田長政」
さて、戦さに勝ったら、次はお楽しみ?論功行賞と首実検。家康は頭巾を脱いで裏白の兜をかぶり、緒を締めました。
「勝って兜の緒を締めよ、とはこの事じゃな」
このことわざ、当時からあったのですね。
次々と首級が運び込まれて来る中、真っ先に呼ばれたのは黒田長政(阿部新之介)でした。
「此度の勝ち戦さ、ひとえにそなたが忠義のお陰。この奉公にどう報いたらよいものか。子々孫々に至るまで、黒田家を疎略には扱わぬぞ」
家康は長政の手を取って厚く礼を述べ、自分が差していた吉光の脇差を引出物として与えます。
大変な名誉ですが、これには後日談がありました。
「……という具合に、内府殿は我が手をとって、大層お褒め下さって……」
長政が父の黒田官兵衛(孝高、如水)に自慢していると、官兵衛はこれを叱りつけます。
「バカモン、内府がそなたの片手をとった時、もう片手は何をしておった!」
要は「家康を殺す絶好のチャンスを逃しおって」という叱咤でした。いかにも戦国乱世を戦い抜いた官兵衛らしい強かさです(本作に登場していないのが惜しまれてなりません)ね。
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