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「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り:5ページ目
三成の最期と割愛された干柿
大義を思う者は最期まで…石田三成が処刑直前に干し柿を拒んだ理由とは?【どうする家康】
三成、斬らるゝの日、途中にて湯を乞ひしに、折節其辺になかりしかば、警固せし者、湯は只今求め難し、喉乾かば、爰に甘干の柿あり、是を食はれよと言ふ。三成聞て、夫は痰の毒なり、食す間敷と言ふ。聞く人大に笑て、只今首を刎らるゝ人の毒断するこそ笑しけれと言ひしを、三成聞て、汝等如き者の心には尤もなり、大義を思ふ者は、仮令首を刎らるゝ期までも、命を大切にして、何卒本意を達せんと思ふものなりと言はれけり。頓て六条の河原に行きしに、顔色平生の如くにして、死に就きしとぞ。
※『名将言行録』巻之三十六 石田三成
あふれる正義感と使命感ゆえ融通が利かず、決戦に敗れ去った石田三成。
その心意気を示す干柿のエピソードは、残念ながら割愛されてしまいました。
大義に生きる者は、最期の瞬間までも命を粗末にはしない。その心意気を演じて欲しかった視聴者は、きっと筆者だけではなかったはずです。
ともあれ、ないものは仕方ありません。
今回いいとこなしだった毛利輝元(吹越満)はじめ宇喜多秀家・小西行長・嶋佐近(高橋努)・大谷吉継などなど、西軍諸将の末路が端的に語られました。
更には東北戦線で暴れ回った上杉景勝(津田寛治)や、信州上田で徳川秀忠(森崎ウィン)の大軍を足止めした真田昌幸(佐藤浩市)らも、これで退場なのでしょうか。
次から次へと人気俳優が出ては消えしていきますが、実に景気のよい花火でしたね。
他にもいろいろエピソードがありますが、また改めて紹介したいと思います。
第44回放送「徳川幕府誕生」
本多忠勝「もう、我らの働ける世ではないのかもしれんぞ」
本多正信「将軍になる……というのは?」
徳川家康「全てお前のせいじゃ」
於大の方「そなたの大事なものをもう捨てるでないぞ」
忠勝「見届けるまで、死ぬな!」
家康「関ヶ原は、まだ終わっておらぬ」
家康「時が満ちた」
……さて。関ヶ原合戦が終わったら、後は残りの歴史イベントをこなさなくてはなりません。
とりあえず次週代目44回放送は「徳川幕府誕生」。家康が征夷大将軍となる慶長8年(1603年)辺りまで進むようです。
予告画面から察するに、於大の方(松嶋菜々子)がなくなり、豊臣秀頼(作間龍斗)の元に千姫(原菜乃華)が嫁ぎます。
全48回の放送も残り5回。家康が亡くなる元和2年(1616年)4月17日まで、残り16年。
神の君の最期まで、しっかり見届けたいですね!
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
- 岡谷繁実『名将言行録(五)』岩波文庫、1944年5月
- 白峰旬『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』宮帯出版社、2014年10月
- 二木謙一『関ケ原合戦 戦国のいちばん長い日』中央公論社、1982年2月
- 本郷和人『徳川家康という人』河出書房新社、2022年10月
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