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「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り:4ページ目
小早川秀秋のこと
なかなか去就を決せず、家康と三成を苛立たせた小早川秀秋。果たして勝利を収めた後は、どんな態度をとったのでしょうか。
……金吾秀秋は参陣遅々しければ。村越茂助直吉を遣はされてめし呼る。秀秋長臣二十人ばかりをしたがへて参り芝居に跪てあり。 君床机より下らせ給ひ。かねて懇誠を通ぜられしうへに。また今日の大功神妙の至なりと宣ふ。秀秋忝き由を申し。 明日佐和山討手の大将を望みこふによて御ゆるしあり。この時金吾が見参せし様を見て。後日に福島正則が黒田長政に語りしは。こたび 内府勝利を得られしといへども。いまだ将軍にならせられしにもあらず。さるに秀秋黄門の身として芝の上に跪き手を束ねし様は。いかにも笑止にてはなきかといへば。長政さればと鷹と雉子の出合とおもへばすむ事よと笑ひながらいふ。正則こは御辺の贔屓のいひ様なれ。鷲と雉子ほども違はむかといひて笑てやみしとぞ。(武徳安明記。明良洪範。天元實記。)……
※『東照宮御実紀附録』巻十「家康感謝黒田長政」
「遅い!」
なかなか挨拶に来ない秀秋に、家康はお怒りの使者(村越直吉)を発しました。
これを受けて慌ててやってきた秀秋は、重臣20名ばかりに囲まれながらやってきて、芝居(草の上)にひざまずきます。
まったくどこまでも優柔不断な……と思ったことでしょうが、そこは狸の家康。満面の笑みで出迎えました。
「此度の勝利は、そなたの働きに他ならぬ。まこと神妙であった!」
これをかたじけなく思った秀秋は、三成の本拠地である佐和山城攻めの先鋒を申し出ます。
そんな秀秋のへりくだりぶりを見ていた福島正則は、黒田長政にこぼしました。
「おい見たか。小早川の小僧め、黄門(中納言)ともあろう者が、内府殿に這いつくばりおって」
正則の憤りには、長政も苦笑い。
「仕方あるまい。内府殿と金吾(秀秋)では、鷹に睨まれたキジのようなもんじゃ」
これを聞いて、正則は返します。
「あの小僧を買いかぶりすぎじゃ。喩えるならば、鷲とキジであろう」
実際、鷹と鷲のどっちが強いのかはともかく、二人揃って大笑いしたと言うことです。
本作の小早川秀秋は、食えない感じに期待しましたが、いかんせん尺が足りませんでしたね。
ちなみに秀秋は、関ヶ原合戦の2年後に大谷吉継の怨霊に祟られて狂死したそうな。
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