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島津の銃撃で負傷した井伊直政
劇中でちょっとだけ描写されていましたが、島津義弘が戦場から離脱する際、東軍の真正面へ突撃する場面がありました。
普通、逃げる時は少しでも敵から遠ざかろうとするものですが、まさに窮鼠猫を噛むですね。
これは後世「島津の退口(のきぐち)」と呼ばれ、島津勢の恐ろしさを改めて天下に知らしめました。
千五百 VS 十万?薩摩武士の精強さを天下に知らしめた、関ヶ原の戦い「島津の退き口」
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井伊直政(板垣李光人)は死に物狂いの島津勢を深追いした時、銃撃を受けてしまいました。
直政はこの時の負傷が原因で、2年後の慶長7年(1602年)に亡くなります。
……井伊兵部少輔直政も鉄砲疵を蒙り靭に手をかけ。忠吉朝臣に附そひ参り忠吉朝臣の勲功の様を聞えあげ。逸物の鷹の子は皆逸物なりと称誉し奉れば。そは上手の鷹匠が志ゝあてよきゆへなりと宣ひ。汝が疵はいかにとて御懸硯をめしよせ。御膏薬を取出して御みづから直政が疵に付給ふ。直政かしこみ奉りていはく。今日某が手よりこのみて軍をはじめしにあらず。全く時分よくなりしゆへ守殿と共に手始せしといへば。いたく御賞美あり。……
※『東照宮御実紀附録』巻十「家康感謝黒田長政」
直政は同じく負傷した松平忠吉(家康四男。福松)ともども、支え合うように参上。
直政が「若君のご活躍ぶり、さすが鷹の子は鷹にございますな」と褒めると、家康は「それはよき鷹匠がついてこそじゃ」と褒め返します。
「しかしひどい怪我ではないか。どれ、診せてみよ」
家康は手ずから膏薬(塗り薬)を取り出し、直政の手当をしてやりました。直政の感激はいかばかりでしょうか。
家康「しかし、もう無理はするなよ」
直政「いえ、それがしから島津を襲ったのではなく、やむなく戦ったまでにございます」
家康「そうかそうか」
そんな一幕があったようです。
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