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家康暗殺計画で流罪となった大野治長、後の関ヶ原の戦いでは家康が賞賛。なぜ?【どうする家康】:2ページ目
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やがて合戦は徳川方の勝利に終わり、大野治長の首級について改めて確認されます。
どうも調べてみると、宇喜多秀家の家臣に高知七郎左衛門なる者がおり、その首級のようでした。
「高知と言えば、それがしも聞いたことがあるぞ」「そう言えば、わしも」「我も」
……随分と名のある豪傑だったそうで、これを聞いた家康は改めて大野治長を賞賛。
人々は「一つの首級で二度のお褒めに与ろうとは、まこと修理は果報者よ」と羨んだそうな。
めでたし、めでたし。
終わりに
茶々・秀頼親子を支えた最後の戦国武将
大野治長 おおの・はるなが
[玉山鉄二 たまやまてつじ]
大野修理の名でも知られる。母・大蔵卿は茶々の乳母。家康暗殺計画に携わり流罪となるも、茶々・秀頼の側近として復権するしぶとい男。豊臣への忠義を貫き、大坂の陣では参謀役として、徳川20万の大軍を迎え撃つ。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
以上、関ヶ原の戦いにおける大野治長の活躍を紹介してきました。
あっさり首級を獲ってきたかと思いきや、実は強敵だったのですね。その戦いぶりについては、他に記録があるのでしょうか。
果たして玉山鉄二がどんな熱演を魅せてくれるのか、今から楽しみにしています。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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