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「どうする家康」きらめく星空の下、ロマンチックに語らう二人。第35回放送「欲望の怪物」振り返り:2ページ目
鳥居元忠について
そなたの家臣はわしのもの、わし家臣もわしのもの……という訳で、鳥居元忠(音尾琢真)を召し抱えようとする秀吉。
家康としては苦笑するよりなく、元忠が忠義を貫いてくれることに期待するよりありません。
実際、秀吉は元忠を徳川家中より引き抜こうとしたことがあり、元忠はこれを辞退しています。
また劇中には登場していませんが、元忠の嫡男である新太郎(後の鳥居忠政)も引き抜こうとしていました(こちらも元忠によって阻止)。
鳥居一族は亡き鳥居忠吉(イッセー尾形)はじめ代々忠義を尽くした譜代の家柄。秀吉は忠義に篤い三河武士団を羨み、切り崩すべき脅威と感じていたのでしょう。
他の家臣たちにも引き抜きを図っていますが、また改めて紹介できたらと思います。
その手は食わぬ!豊臣秀吉からの誘いを辞退し、忠義を貫いた鳥居元忠【どうする家康】
陣羽織について
劇中では家康自身の発案であるかのような「陣羽織」宣言。
しかし江戸幕府の公式記録である『徳川実紀』を読むと、このアイディアは豊臣秀長(佐藤隆太)と浅野長政による発案となっています。
二人が「殿下の陣羽織を御所望なされませ」と提案したところ、家康は最初「わしは今まで他人様の物を欲しがったことはない。そんなに卑しく見えるか!」と激怒しました。
しかし二人は真意を説明し、家康も納得。果たして諸大名の前で猿と狸の茶番劇が披露されたのです。
「実はその前夜、秀吉が根回しに来て三度も拝礼しおったわい」
後に駿府城へ帰った家康が、家臣たちに自慢したのは言うまでもありません。
どうか殿下の陣羽織を!徳川家康が豊臣秀吉にねだった理由とは【どうする家康】
表裏比興について
昔から「武士に二言はない」とは言いますが、馬鹿正直では渡っていけないのが戦国乱世というものです。
真田昌幸(佐藤浩市)は主君・武田家の滅亡後、上杉・北条そして徳川の三つ巴に揉みしだかれながらもしたたかに生き抜いてきました。
「表裏比興の者」
言行に表と裏を使い分ける卑怯者、しかし卑怯も極めればまことに比興。その生き様には得体の知れない魅力があります。
「他人のものを無断で譲渡してはいけない」
まさに昌幸が領していた上野国沼田がそれで、かつて家康が北条氏政(駿河太郎)と和睦するため勝手に与えてしまいました。
そんな奴が「代わりの所領を与える」と言ったところで、信じられる筈がありませんよね。
信用の証として、徳川の姫を人質として嫡男・真田信幸(吉村界人)に嫁がせるよう要求しました。
そこで白羽の矢が立ったのは、本多忠勝(山田裕貴)の娘・稲姫(鳴海唯)という訳です。果たして、彼女の運命やいかに。
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