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家康を暗殺せよ!豊臣方の陰謀を知って結城秀康(於義伊)はどうした?【どうする家康】:2ページ目
大坂城で発覚した家康暗殺計画。秀康の対応は?
そんな事があって、同年9月9日。家康は重陽の節句(菊の節句)をお祝いするため、大坂城へ参りました。
「徳川殿を生かしておけば、必ずや豊臣家に仇なす存在となろう」
「左様。無防備な今の内に、討ち取ってしまおうではないか」
そんな企みを聞きつけた者がいて、大急ぎで伏見城を守備していた秀康に通報します。
「何だと、それは一大事!」
通報を受けた徳川家臣の伊奈昭綱(伊奈図書)は、さっそく家康を護衛させるために人数を派遣したのでした。
……此年九月、徳川殿重陽の賀をせられんが為に、大坂に至らせ玉ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申さんとの結構ありと、告け申ものあり、此時守殿伏見の城に留守せさせ給ふ、伊奈図書して、御家人等盡く参らせらるべきよし仰せつかはさる、……
※『藩翰譜』第一 越前
「我らが殿の一大事!」「それ急げ!」
家臣たちは話しを聞くもとりあえず、鞭と鐙を合わせて(必死に馬を駆り立てる表現)大坂城へと駆けつけます。
「申し上げます!大番(親衛隊)の六部隊中、二部隊がすでに出立。残る四部隊も支度が出来次第、出立いたします!」
駆け込んだ伝令の報せを聞いて、秀康は命じました。
「待て。残った部隊については伏見に留めおき、指示を待つよう命じよ」
「殿の救援には向かわせぬおつもりか?」
いぶかしむ昭綱に、秀康は説明します。
「よいか。もし父上の武運が尽きておるなら、たとえ何百万騎の救援を差し向けようと無駄になる。逆に父上の武運が続くのであれば、いかなる死地も必ずくぐり抜けよう」
「しかし……」
「もし父上が敵に討たれた場合、ここ伏見は間違いなく標的になる。その時、次の手を打つためにも大番の軍勢は留めおかねばならぬ」
つまり「もし家康が討たれたら、それは運が尽きたまでのこと。ならば少しでも手元に兵力を残し、次の事態に備えよう」という構えに他なりません。
大坂より兵を差し向けられたら、どのように対処(あるいは応戦)するか……綿密な計画を練った秀康は、昭綱に指示しておいたということです。
……御家人等聞もあへず、鞭鐙を合せて、馳せ参る、大番の侍六番が其内、二番は既に御供に参る、残る所の四番をも、皆まゐらすべしとありしをば、守殿とめ置かれて、御運傾かせ給はんには、たとえ何百万騎を参らすとも、叶はせ給ふべからず、もし御大事あらんには、かくこそ仕るべけれとおもひて、大番の侍をば参らせず候とて、御勢配のやうを、一々に書記し、伊奈に給て帰されたり、徳川殿、あつはれ参河守は、父には生れまさりけりと、御感浅からず、……
※『藩翰譜』第一 越前
終わりに
果たして家康は無事だったのですが(命を救われた石田三成が裏で手を回してくれたのでしょうか?)、後で秀康の態度を聞いて感心しました。
「天晴れじゃ。やはり三河守はわしの子じゃのう。我が将器をしっかりと受け継いでおるわい」
よく言うよ。厄介ばr、もとい養子に出したくせして……まぁ昔のことはさておきまして。
その後も大いに活躍する結城秀康のエピソード、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 新井白石『藩翰譜 一』国立国会図書館デジタルコレクション
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