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インチキな試合を「八百長」というのは何故!?八百屋と関係あるの?
最近は、少し前に比べると、相撲ファンも増えてきたように思います。
さて、相撲の世界では、あらかじめ裏で勝敗を示し合わせておいて、表では真剣に試合をしているように見せかけることを「八百長」といいます。たびたび話題になるこの言葉ですが、「八百」と聞くと、「八百屋」との関連を考える読者も多いのでは?
実際、「八百長」の「八百」は、野菜を売っている「八百屋」が少し関係しています。では、「インチキ」することと「八百屋」と、どう関係があるのでしょうか。
実は、この「八百長」という言葉は、幕末から明治時代にかけて、八百屋を営んでいた長兵衛さんという方の名前が由来しています。
長兵衛さんは、店の得意先である伊勢ノ海五太夫という元力士の囲碁仲間で、よく囲碁を打っていたそうです。伊勢ノ海五太夫は、現在の新潟県長岡市小国町の出身で、身長は1.7メートル、体重は101キログラムほどあったそうです。1841(38歳)のとき、両国の会向員場所で入門し、引退後は相撲即興の世話役なども務め、経営者としてもすぐれた手腕を発揮していたようです。
この長兵衛さんと、伊勢ノ海五太夫はいつも囲碁を打っていましたが、実力は長兵衛さんの方が上だったようで、いつも伊勢ノ海五太夫に勝ってばかりいたようです。
そこで、長兵衛さんは、「お得意さんに、いつも勝ってばかりでは、申し訳ない」と忖度し、伊勢ノ海五太夫と囲碁をする際は、わざと負けたりして、勝負ではいつも1勝1敗になるように手加減して機嫌を取っていたそうです。
このことが、いつしか囲碁仲間に知られたことから、以来、相撲で真剣に闘っているようにふるまいながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを、長兵衛さんの渾名からとって、「八百長」と呼ぶようになったそうです。そして、やがてそれが転じて、相撲以外の場面でも、使われるようになったそうです。
参考
山口 佳紀編『なるほど語源辞典』 (1999 講談社ことばの新書)
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