【朝ドラらんまん】田中哲司演じる徳永助教授のモデル!日本植物学の発展に尽力した松村任三の生涯③:2ページ目
ドイツ留学で植物学を専門的に学ぶ
かつては法学を学んでいた任三ですが、専門的に植物学を学ぶため、新天地に飛び込む決意をします。
朝ドラでは田邊教授が徳永助教授に対して「さっさと留学しておいで」と言い放つシーンがありました。
実際にモデルとなった松村任三は、明治18(1885)年にドイツ留学に出発しています。
翌明治19(1886)年、任三はバイエルン王国のウルツブルグ大学で、ユリウス・フォン・ザックス教授に師事。植物生理学を学びます。
明治20(1887)年には、バーデン国ハイデルブルグ大学へ転学。エルンスト・ぷフィッツァー教授に植物分類学を学ぶなど、本場の知識を導入するべく努力していました。
明治21(1888)年、任三は帰国。再び東京大学理科大学助教授に就任して後進の育成にあたります。
翌明治22(1889)年に教授へと昇格。師である矢田部良吉に追いつくほどの出世ぶりでした。
交錯する運命!矢田部良吉と牧野富太郎との関わりとは…?
やがて任三にとって苦渋の決断をする時が訪れます。
明治23(1890)年、牧野富太郎の植物学教室の出入り禁止を発表。大学の資料の扱いや新種の発表を独断した、という理由だったそうです。
禁止命令は矢田部が中心になってなされたようで、むしろ任三は消極的だったと考えられます。
任三はむしろ牧野を高く評価しており、問題行動に目を光らせてはいましたが、協力的な側面もありました。
明治24(1891)年、任三は理学博士の学位を授与。研究者としての地位を確立します。
しかし同年、師の矢田部良吉が非職(停職)処分を東京大学から下されてしまいます。
理由については、東京大学学長との対立や、矢田部による周囲との軋轢が起因したとされています。
明治24(1891)年、任三は矢田部に代わって主任教授に就任。植物学の研究者の中心的存在となります。
明治26(1893)年、在野にあった牧野富太郎を助手に任命。植物学の研究者として迎え入れました。
その後、任三は牧野とは植物の命名をめぐって対立するなど、大学を追い出そうと画策することもあったようです。ドラマではその辺をモデルにしていると考えられます。
しかし牧野はその後、東京大学に留任。最終的には理学博士となっており、任三の影日向の支えがあった?ことは想像に難くありません。