【朝ドラらんまん】田中哲司演じる徳永助教授のモデル!日本植物学の発展に尽力した松村任三の生涯③:3ページ目
世界的な植物学者としての松村任三
松村任三は、日本だけでなく世界的な植物学者として存在感を示していました。
明治30(1891)年、東京帝国大学附属小石川植物園の初代園長に就任。同年の『中等植物教科書』をはじめ、多くの植物学関連の書籍を発表し続けていきます。
明治39(1906)年には、欧米視察に出向。スコットランドのアバディーン大学創立400年祭に東京帝国大学代表として出席して名誉博士号を与えられています。
日本国のみならず、世界的な植物学者の1人として、松村任三の業績は周囲から認められていました。
翌明治40(1907)年、任三は明治天皇に御進講。題を「サボテンの種類について」として講義を行なっています。
大正元(1912)年には、『帝国植物名鑑』が完成。日本の植物を網羅した総合目録と言えるほどの書籍でした。
先に矢田部良吉と牧野富太郎を挙げましたが、松村任三も決して彼らに引けをとっていません。むしろ業績では肩を並べるか、超えるほどのものを残していたと言えるかも知れませんね。
大正4(1915)年、今度は大正天皇の御前において「熱帯有用植物について」と題して御進講を果たしました。
この時点で、任三が植物学の権威的存在として認識されていたことは間違いないようです。
しかし任三にとって、残した学問における業績は植物学だけではありませんでした。
大正10(1921)年、個々の字を扱った『溯源語彙』を発表。かつての漢学的素養を発揮しています。
翌大正11(1922)年には、東京帝国大学を退官。以降は名誉教授として活動を続けていきます。
昭和3(1928)年5月4日、東京本郷の自宅で脳溢血のため逝去。享年72。墓所は故郷の赤塚墓地にあります。