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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」ついに覚醒?した元康、堂々の岡崎入り!第2回放送「兎と狼」振り返り

「どうする家康」ついに覚醒?した元康、堂々の岡崎入り!第2回放送「兎と狼」振り返り:2ページ目

元康の首を狙う大草松平家について

大高城を出て、自分一人でも駿府へ帰ろうとしていた元康の元へ駆けつけた松平昌久(演:角田晃広)。

彼ら大草松平家は、これまで何度も元康たちの家(安祥松平家)に反抗し、裏切り続けてきました。

かつて父・松平昌安(まさやす)が岡崎城を家康の祖父・松平清康(きよやす)に引き渡させられた過去もあり、何としてでも松平宗家の座を奪うべく元康の首を狙います。

いくら「今は松平同士でいがみ合うている場合ではない」とは言え、信じるに足る相手でないことは言うまでもありません。

平伏した向こうから鉄砲で一斉射撃。画面的には映えますが、果たしてそれだけの挺数と弾薬を揃えられたのか……そこはロマン重視、時代考証がどうとかそんな野暮は言いっこなしです(あくまでフィクションとして楽しみましょう)。

ちなみにこの昌久について『寛政重脩諸家譜』ではこう書いてありました。

某 七郎

永禄六年一向専修の門徒叛きまいらせし時、七郎も東條の吉良義昭にくみし、大草の手のものを率ゐて東條城にこもる。七年二月義昭没落して近江国にのがるヽに及び、七郎もまた逐電す。

※『寛政重脩諸家譜』巻第二十六 清和源氏(義家流)松平 大草

やがて勃発した三河一向一揆(永禄6・1563年)のドサクサで吉良義昭(きら よしあき)と共に叛旗を翻したものの、翌年に敗れて逃亡。そのまま行方不明となっています。

なお、孫の松平正親(まさちか)は清康の代から松平宗家に忠義を尽くし、桶狭間の合戦で討死。その子・松平康安(やすやす)は武功を重ねて旗本に出世しました。

3ページ目 忠勝の父と祖父について

 

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