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【どうする家康】岡崎城を預かっていた山田新右衛門(天野ひろゆき)とは何者?その後どうなる?:2ページ目
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「うぅむ、二郎三郎がそこまで申すなら……」
出来れば元信を手元に置いておきたい義元でしたが、あまりの熱意にほだされてしばしの暇(いとま。休暇)をとらせます。
さぁ元信の喜ぶまいことか。取るものも取りあえず大急ぎで故郷の三河へ。先祖の墓参りに亡き父の追善供養を済ませた元信は、一路岡崎城へと向かいました。
この時、岡崎城には今川家臣の山田新右衛門が城代としており、元信は二の丸に入ります。
「本丸へは上がられないのですか?」
家来が尋ねると、元信は答えて言いました。
「私はまだ若輩者であり、城代殿に遠慮するのが筋であるゆえ、ご挨拶はこちらで済ますべきだ」
やがて駿府へ戻った元信。この話を聞いた義元は「年若くも分別をわきまえた立派な振る舞いなり」と賞賛したということです。
終わりに
以上、元信の里帰りエピソードを紹介しました。
本丸に上がるのを遠慮したのは、独立の野心を悟られないためだったのではないでしょうか。
ちなみに山田新右衛門は諱を元益(もとます)と言い、元の字は恐らく義元から授かったもの。よほど見込まれていたことが分かります。
新右衛門は桶狭間で義元が討たれたと聞いて仇討ちのため桶狭間に駆けつけ、そこで討たれてしまいました。
第2回放送ではナレ死(ナレーションで死んだ事が言及されるのみ)か、あるいは壮絶な最期が描かれるのでしょうか。天野ひろゆきの熱演を、もう一度見届けたいですね!
※参考文献:
- 『徳川實紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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