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日本、中国、台湾がそれぞれ領有権を主張。尖閣諸島の歴史とは?その2

日本、中国、台湾がそれぞれ領有権を主張。尖閣諸島の歴史とは?その2

石垣島に編入

1902年(明治35年)、石垣島大浜間切登野城村に編入され地番の標杭が設置されました。

古賀辰四郎・善次親子はアホウドリの羽毛の採取、グアノ(海鳥糞)の採掘、鰹漁業、鰹節の製造などの事業を経営し、1909年には古賀による事業は最盛期を迎えました。

そして事実、日本人家庭が99戸、248人が生活していたのです。

1932年(昭和7年)、魚釣島、久場島、北小島および南小島の4島は古賀辰四郎の嗣子である善次に1万5千円で払い下げられ私有地となりました。しかし、アホウドリの羽毛採取は乱獲や猫害などにより中止となり、鰹節の製造も燃料が配給制となったため継続は困難となりました。

1940年(昭和15年)、古賀善次が尖閣諸島での事業から撤退し、居住していた人々も退去して再び無人島となりました。

戦前には、以上のような民間人の事業活動のほか、国の機関や沖縄県による資源調査・地形調査などが実施され、尖閣諸島に対する日本の有効な支配が継続していたのです。

戦後

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦での日本の敗戦の結果、連合国最高司令官指令 (SCAPIN) 第677号により尖閣諸島を含む南西諸島は米軍の直接管理下に置かれました。

さらに1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は独立を回復しましたが、同条約第3条によって尖閣諸島を含む北緯29度以南の南西諸島は引き続き米国の施政下に置かれることとなりました。

その後、沖縄返還協定に基づき、1972年5月に沖縄の一部として尖閣諸島の施政権も日本に返還されました。そして第二次世界大戦後は米軍の射爆演習場となり古賀善次から年間1万ドルの借地料で貸与を受けていました。

つまり国際的にも尖閣諸島は日本の領地という認識がなされていたという事ですね。しかしやがて暗雲が近づいてきます……。

(最終回その3に続く)

 

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