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「銀座」の本当の意味は?「金座」もあるって本当?地方都市に「〇〇銀座」が多い理由も探る:2ページ目
銀座を変えた災害
さて江戸の銀座に話を戻すと、銀座には銀座で働く役人や商人、役者、画家などが住居を構え、店や芝居小屋が並びました。
賑やかで活気あふれる街へと発展した銀座ですが、しかし二度の大火事に見舞われています。
特に1872年の銀座大火は被害規模が大きく、銀座一帯が焼失してしまいます。
これが契機となり、銀座は西洋風の耐火構造を持つ街並みに整備されることになりました。
この都市開発は、当時の東京府知事である由利公正の主導のもと行われます。設計はイギリスの技術者であるトーマス・ウォートルスがを行いました。
この開発工事では、火災の際に延焼をくい止めるために道幅を広くしたり、歩道を設置したり、火に強い煉瓦を用いた建築を取り入れたりするなどしています。
そして、1872年の着工から5年経った1877年には銀座の煉瓦街が完成。このガス灯がともる煉瓦街は、明治に入った日本の文明開化の象徴でもありました。
「銀座」は復興の象徴でもあった?
現在、銀座の地名は東京だけでなく全国に、しかも銀座役所の跡地ではない場所にも数多く存在します。
中には、華やかな銀座のネームバリューやブランド力にあやかって名付けられたケースもあります。
一方で、「銀座」が全国に増えたきっかけの一つには、戦後の復興もあったのではないかと言われています。
第二次世界大戦では多くの街が被害を受けました。東京の銀座も空襲を受け、爆弾や焼夷弾によって大きな被害が出ています。
その後、銀座の人々はすぐに建て直しを図り、一人一人が街の復興に向けて尽力しました。
関東大震災直後の銀座通り(Wikipediaより)
それまでも銀座は、明治の大火や大正の関東大震災を乗り越えてきました。そこへきて戦後復興です。いわば銀座は、華やかな都市文化の象徴であると同時に、災禍における復興の象徴でもあったのではないか、と言われています。
災害後の復興の象徴となった「銀座」にあやかって、自らの街の復興を願って「銀座」の地名を名付けた街も多かったのかも知れません。
参考資料
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