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日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午後11時~午前1時頃】:2ページ目
あ~寒い!夜中に寒中参り
歌川広重は冬の夜景として、堰堤とその脇の坂道を描きました。題として「あふひ坂」とありますが、古地図には「葵坂(あおいざか)」と記されています。
冬の寒い夜、ふんどし姿の2人連れが歩いています。
「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と書かれた提灯を手にしているので、葵坂下にある金毘羅大権現、現在も虎ノ門にある“金刀比羅宮”への「寒詣」の帰り道でしょう。
さきほどの二人は、上掲の絵の左の坂のふもとにいたのです。
「寒詣」は“寒参り”や“裸参り”とも呼ばれ、ふんどし一丁で水垢離(みずごり)つまりは冷水を浴びて身を清め、その姿のままで鈴を鳴らしながら神社仏閣へ参拝しました。
「寒」とは二十四節季の「小寒」と「大寒」の期間で、現在の1月6日頃から立春(2月4日か5日)の前日までの約30日間を通い続けました。
技術の習得を祈願する見習い職人たちがよく行っており、その姿や鈴の音は真冬の風物詩だったといわれています。
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