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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第28話

【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第28話

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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第27話

前回の第26話はこちら[insert_post id=83584]■文政八年 玉菊灯籠の夏(2)あと、六日。 あと、五日。 あと、あ…

■文政八年 玉菊灯籠の夏(3)

みつは目が光に弱いという理由で、白昼外に出る際にはかならず手ぬぐいを吹き流しに被る。布の端を軽く口に咥えると、玉虫色の下くちびるが日光にてらりと光るのが際立って美しかった。

 

「あ」

 

道の途中でみつが突然駆け出し路傍に屈み、何かを取って戻ってきた。

 

「どうした?」

 

国芳が訊くと、

 

「鬼灯(ほおずき)」。

 

ふっくら柔らかな女の手のひらに、提灯のようによく膨れた黄丹色の実が一つ、乗せられていた。

 

「よく熟れてら」

 

「熟れていないと、笛に出来ないの」

 

「へえ」

 

「色が見えなくても、匂いや感触で分かるわ」

 

みつはニコニコして、

 

「笛、やった事ある?」

 

「やんねえよ。そんなの、女児の遊びだろ」

 

国芳は首を横に振った。国芳にとっては、鬼灯は縁日のものである。浅草観音の鬼灯市や、茅場町の薬師堂の前の植木市で、鬼灯の実を十個竹串に差した十差というのが売られ、それを女子が嬉しそうに持って歩く。中には、植物の代わりにアカニシという巻貝を「海鬼灯(うみほおずき)」という名前で売っている場合もある。そういうものだと伝えると、へえ、とみつは驚いた。

 

「廓内には昔から沢山々々、鬼灯があるよ」

 

吉原では娑婆のような鬼灯市こそないものの、鬼灯はそこかしこに自生していて、親しみ深い植物である。みつは慣れた手つきでその包皮を剥き、丸い実の中身を器用に掻き出し、口の中に放り込んだ。すると、ぷくぷく楽しい音が鳴った。

 

「へえ、乙なもんだな」

 

「面白いでしょう」

 

「どうでえ、わっちにもやらせてみねえ」

 

国芳がみつの作った鬼灯の笛を口に放り込んだ。しかしやってみるとすぅ、と空気が抜けるばかりで、一向に音が鳴らない。

 

「空気をちゃんと入れなきゃ駄目よ」

 

「なんでえ、鳴りゃしねえ」

 

国芳は歩きながらしばらくスカスカ気の抜けた音のする鬼灯笛と格闘していたが、余りにも下手なのでみつが隣で口を手で覆って笑い始めた。

 

「食べちゃ駄目だよ。毒があるから」

 

「誰が食うもんか!」

 

国芳は路端にペッと吐き棄てて、二人でけらけら笑った。

京町二丁目を抜けて吉原の角の「九郎助稲荷」に近づくと、なるほどあんを砂糖で煮詰める甘い匂いが優しく漂い始めた。

姐やんのあんころ餅屋の匂いである。

 

「はあ、こんな所に見世があるなア知らなかったぜ」

 

と国芳が首を傾げると、今年はじめたばかりだという。その姐やんという花魁上がりの女は、無事に年季明けを迎えたばかりでなく想い人との約束を遂げた事で若い女郎たちからお稲荷と同じような扱いを受け、あんころ餅屋もひどく繁盛しているらしい。

 

「好いた人と二人で食べると、かならず結ばれるんだって」。

 

いかにも女の好みそうな売り文句だ。みつが見世を目にして子どものようにはしゃいでいる視線の先に、なるほど女郎とその連れの男が何組かたむろしている。

 

「人気なんだな」

 

ほう、と国芳は腕組みして感心した。葦簀張(よしずば)りの小さな見世にはせっせと餅を焼く若い男と、客相手に夫婦になれた喜びの笑顔をめいっぱい振りまく姐やんがいた。

姐やんは鳴海絞の浴衣に黒緞子の帯、紺絣に萌葱の糸真田の紐をつけた前垂をしめ、帯の後ろに扇を差して髪は櫛巻きの小意気な姿でりんりん働いている。

 

(吉原にも、こんな場所があるのか)

 

国芳は不思議な、温かい気持ちになった。

 

「紫ちゃん!」

 

みつが近づくと、姐やんはそれに気付いて愛想よく手を振ってきた。 江戸町の見世の花魁だったというだけあって、年増ではあるが遠目にも目鼻のはっきりした美人である。

 

「姐やん!」

 

みつは弾むように駆け寄り、二人は手のひらを合わせて喜んだ。すっかり顔馴染みの様子で、今日は暑いねえなどと言いあっている。

 

(なんだ、知り合いか。・・・・・・)

 

国芳が後からゆるりと付いてゆくと、

 

「ねえ、彼が、紫ちゃんのいい人?」

 

「ふふ。やだ姐やん、声が大っきいよ」

 

こっそり国芳を指を指した姐やんに、みつはこくんと頷いた。

 

「あれまあ、なかなか好い男じゃないの」

 

絽縮緬を裾まくりして片足覗かせた国芳の姿を見て、姐やんはニコニコした。絽縮緬はよく見ると裾の方に流水に水草の模様が浮かんでおり、歩くと清風が吹き抜けるような涼やかさだ。実は着道楽の佐吉に譲ってもらったお古である。

 

「良かったね国芳はん。大見世の花魁だった姐やんが好い男だって!」

 

「へッ、おだてと畚(もっこ)にゃ乗らねえよ」

 

国芳は口を尖らせたが、顔は照れ臭さで真っ赤になっている。

 

「嬉しいんなら素直に喜びなさいよ!」

 

みつが国芳の肩をバシンと叩くと姐やんは笑って、あんころ餅をもう一つずつおまけしてくれた。

 

「また二人で来ておくんなさいな。きっとだよ」

 

「ありがとう、姐やん。さ、国芳はん、そこで食べちまいましょ」

 

みつは床几を指した。

先に腰掛けた一組に断りを入れ、二人並んで腰掛け、同時に餅を口に運んだ。

 

「うめえ!やっぱり焼き立てだな!」

 

国芳はあんと餅の甘みを舌の上で転がしながら、感激して声を上げた。みつも、二人で味わう餅の美味しさにとろけるような微笑をこぼした。

 

「なあ、みつ。案外あんなのも、いいかもな」

 

目の先のあんころ餅屋を指して、国芳はにこにこした。

 

「え?」

 

「わっちが浮世絵で一発当てたら、めえを身請けして向島のあたりに所帯を持つ。そんでもって浮世絵稼業の傍ら、桜の季節にゃ大川の土手っぱらにあんな風に餅屋を開くんだ。わっちが餅焼いて、めえが見世っ先に立ちゃ、たちまち大繁盛だぜ」

 

「何それ、幾代餅みたい」

 

「ははは!でも、そんなのも悪くねえだろ。めえとならさ」

 

国芳が白い歯を見せて笑った。

 

「うん。悪くない。あんたとなら」・・・・・・

 

二人は潤んだような目で互いを見つめた。

 

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