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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第28話

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「ええ、まあ、江戸のクニサダの中じゃあ一番知られたクニサダでしょうね」

 

「するってえと、あーた、豊国先生のとこのお弟子さんかい」

 

「そうであすよ、一応。父っつぁんは早春(はる)に死んじまいやしたが」

 

「あーたさっき、国貞の事オ狐って言ったね」

 

「エエ、だって兄さんは、狐ですから」

 

国芳は指で自分の目を上に釣り上げ、狐のようにしてみせた。英泉の方は思い切り、ケケケッと底意地悪い歪んだ笑い声を上げた。

 

「そうかい、そうかい。実は、あーしゃアその狐が大嫌いでね」

 

本人の言う通り、英泉がこの世で最も忌み嫌っている人間こそが国貞であった。

 

二人は同じ頃に売れ初め、二人とも美人や役者をよく描いた。完全に競合しており、英泉にとって国貞は邪魔で仕方がなかったのである。

 

しかも、比較すると二人の筆はよく似ていた。英泉は後年、自著の「无名翁随筆(むめいおうずいひつ)」に「国貞が自分の画風を真似した」と書き記したが、どちらが先で、どちらが真似という本当のところは分からない。

見方を変えれば相性が良く、しかもこの二人の合作となればかならず売れるので、時には有力版元から国貞との共作の企画まで持ちかけられた。断れない英泉は辟易している様子で、

 

「あいつとの共作は、やり辛くて敵わねえ」

 

「何でです」

 

二人が合わないのは話を聞くだけで分かる気がしたが、国芳は一応訊いた。

 

「あーしらの絵はよく似てると言われるが、ちっとも似てねえ。あいつは、世間の闇を知らねえ。ずっと豊国の引いた光の後をまっつぐ歩いてきたんだろう。夢とか希望とか嘘っぱちばかり描きやがってよ。そんないい子ちゃんと、あーしみてえなひねくれ者の筆とが似るわきゃねえ」

 

「マア確かに、国貞の兄さんは優等生ですからねエ」

 

国芳は、腕を組んで頷いた。

 

「でも、悪く言うなアやめてくだせえ。あの人を悪く言っていいのア、わっちだけでしてね」

 

「ふうん」、

 

英泉はさも面白くなさそうにあごで国芳を見た。

 

「何だかんだあーた、野郎の肩を持つてえのかい」

 

「そりゃあマア、狐だろうが狸だろうが兄弟子ア兄弟子ですから。それに」、

 

国芳の切れ長の目が、きらりと光った。

 

「世間様に夢とか希望を与えるなア、歌川流の十八番でしてね」。

 

「ふん。所詮あーたも狐と同じ、豊国の甘い汁啜る生半可ってこったな」

 

英泉のねじけた言いっぷりに、国芳はさすがに目の色を変えた。

 

「師匠、それ以上師匠を貶すなアやめてくれやせんかねえ」、

 

「ええ、何かい。やんのかい」

 

英泉の扇動で、国芳は立ち上がった。

 

「ああ、やってやらア」、

 

みつは国芳の燃え立つ瞳を見て、あっと思った。この人はこんな強い眼をする男だったのか、と。

 

「そちらが持ちかけた絵の勝負、絶対エ負けねえ。めえにだきゃ、みつは渡せねえ」。

 

英泉は、フッと不敵に笑って頷いた。

 

「だからあーた、あーしと勝負するなアいいが、何が得意なんだえ」

 

「わっちゃア、ふらふらでさア」。

 

「ふらふら?」

 

英泉は眉を潜めた。

 

「ヘエ、英泉師匠は美人画、豊国師匠は役者絵、大勢いる兄さんたちにも、どれか一つはこれはという抜きん出た分野があるてえもんでしょう。それなのにわっちにゃアこれがっつうのがなくて、ふらふらしているんです」

 

ふらふらか、と英泉は口の中で呟き、一瞬微笑した。しかし直ぐに喧々として、

 

「あーしを舐めるなよ。てめえの道ゆきも決まらねえふらふらと、何の絵で勝負をしろってえんだい」

 

身を乗り出した英泉を前に、国芳はぺろりと上くちびるを舐めて笑った。

 

「水滸伝。・・・・・・」

 

「え?」

 

「美人画でも役者絵でも何でもいい。勝負の画題は、今流行りの水滸伝でやりやしょう。」

 

国芳の少年のような綺麗な眼が、きらりと陽光に反射した。

トップ画像:渓斎英泉「満月」

 

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