
死因は暗殺か!?18歳の若さで謎の死を遂げた、幻の11代将軍・徳川家基の生涯【大河ドラマべらぼう】
◆徳川家基/奥 智哉
とくがわ・いえもと/おく・ともや
文武両道 幻の十一代将軍幼いころより聡明(そうめい)で成長するにつれて政治に関心を持ち、田沼意次の政策を批判。十一代将軍として将来を期待されるが、鷹狩(たかがり)に出かけた折に体調不良を訴え、“謎の死”を遂げる。徳川宗家の歴史の中で「家」の通字を授けられながらも唯一将軍位に就けなかった。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」より。
この人物紹介を読んだだけで不穏な空気を感じてしまいますね。文脈からして、田沼意次(渡辺謙)らに暗殺されてしまったようにしか思えません。
今回はこちらの徳川家基(奥智哉)を紹介。果たしてどのような生涯をたどったのでしょうか。
徳川家基の生涯
徳川家基は宝暦12年(1762年)10月25日、第10代将軍・徳川家治(眞島秀和)の長男として誕生しました。
幼名は徳川宗家に代々伝わる竹千代、生母は側室であるお知保の方(高梨臨。蓮光院)です。
竹千代は男児のいなかった御台所・倫子に養子入りし、嫡男として育てられました。
明和2年(1765年)12月1日には元服後の諱(いみな。実名)を徳川家基とすることが決められます。
将来の将軍就任が決定された竹千代は幼少期から聡明で、文武両道の才能を示しました。
翌明和3年(1766年)4月7日には5歳で元服、従二位・権大納言と叙せられます。
周囲の期待を集めながら成長していく家基。やがて政治にも興味関心を高め、勉学にも力を入れていきました。
これは名君間違いなしと人々が喜ぶ一方で、批判の的にされていた田沼意次らは面白くありません。
元々お知保の方は意次が推薦した≒息がかかっていたのに、生まれた男児が成長して自分たちを批判するとは計算外でした。
さてどうしたものか……意次らが悩んでいた安永8年(1779年)2月24日、家基は18歳という若さで急死してしまったのです。