死因は暗殺か!?18歳の若さで謎の死を遂げた、幻の11代将軍・徳川家基の生涯【大河ドラマべらぼう】:3ページ目
徳川家基の死後
有望な後継者であり、存命最後の男児である家基を喪った徳川家治は食事も摂れないほど嘆き悲しみ、その血統は絶えてしまいました。
翌安永9年(1780年)11月10日、家基は正二位・内大臣を追贈されます。
かくして家基に代わって第11代将軍となった豊千代改め徳川家斉ですが、家基の命日にはその墓参を欠かさなかったそうです。
自身が墓参できなかった時は若年寄に代参させたと言いますから、よほどの事情があったのでしょう。
後に家斉は文政元年(1818年)に重病を患い、人々はこれを家基の祟りと噂しました。
回復した家斉は恐れをなして智泉院に木像を下付したほか、家基の50回忌となる文政11年(1828年)には若宮八幡宮の社殿を造営したと言います。
また同年には家基の生母である蓮光院(お知保の方)へ従三位が追贈されました。
御台所と将軍生母を除いて大奥の女性が叙位された例は大変珍しく、この処遇にも何らかの事情を感じずにはいられません。
そして死後半世紀以上が経った嘉永元年(1848年)、家基は正一位・太政大臣を追贈されたということです。
終わりに
今回は幻の第11代将軍・徳川家基の生涯をたどってきました。
家基の法名は孝恭院殿(こうきょういんでん)、墓所は東叡山寛永寺円頓院(東京都台東区)にあり、今も多くの人々が参詣しています。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、どのような最期が描かれるのか、今から注目ですね!
※参考文献:
