【逃げ上手の若君】武将・北条時行の最大の庇護者にして諏訪氏の当主・諏訪頼重の人生と真の姿:後編:2ページ目
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もう1人の諏訪頼重と江戸時代に大名となった諏訪氏
頼重の没後の諏訪氏について、少しだけ触れさせて下さい。
孫の頼継が諏訪氏を継承した後、諏訪氏は変わらず足利に対抗して南朝方に参戦しています。
しかし敗北を重ねた末に没落。かつて一国をまとめたほどの権威は失われていきました。
時代が下り、戦国時代に入ると諏訪氏に新たな人物が登場します。
それも諏訪頼重という人物です。南北朝時代と同名ですが、彼も歴史に名を残した武将でした。
戦国時代の諏訪頼重は、甲斐国の武田氏と敵対。一時の諏訪氏は甲斐国に攻め込もうかとするほどでした。
諏訪頼重は武田信虎の三女を正室に迎えて婚姻関係を構築。しかし武田晴信(信玄)の代になると再び敵対します。
晴信は諏訪氏の内紛を利用して諏訪へ侵攻。降伏した諏訪頼重は甲斐国の甲府に身柄を移されます。
天文10(1541)年、東光寺で諏訪頼重は自刃。このとき、諏訪惣領家は滅亡しました。
のちに諏訪頼重の娘・諏訪御料人が信玄の側室となり、二人の間に諏訪(武田)勝頼が生まれています。
しかし天正10(1582)年、その勝頼も織田信長によって滅ぼされてしまいました。
結果、諏訪氏の傍流である諏訪満隣が大祝職を継承。やがてそこから分立した武家が信濃国高遠藩を立藩して、明治には子爵の爵位を賜っています。
このように、諏訪頼重の生涯は、幕府の崩壊、北条氏との忠義、そして武田信玄との戦いという、激動の時代に翻弄されたものでした。しかし、彼の存在は諏訪氏の歴史において欠かせない重要な役割を果たしていたことは間違いありません。
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