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大河ドラマ「光る君へ」では割愛…幼い頃から母親代わりだった紫式部(まひろ)の姉とは?

大河ドラマ「光る君へ」では割愛…幼い頃から母親代わりだった紫式部(まひろ)の姉とは?

NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?

主人公のまひろ(紫式部。吉高由里子)の家族と言えば、父親の藤原為時(岸谷五朗)と弟の藤原惟規(高杉真宙)、そして亡き母親ちやは(藤原為信女。国仲涼子)。

他にも為時には側室に生ませた子供たちがいることは、劇中で言及されています。

しかし実は為時とちやはの間には、まひろ以外にも娘がいました。

実名は伝わっておらず、便宜上は藤原為時長女(ためときちょうじょ)と呼ばれています。

幼くして母親を喪ったまひろ達の母親代わりとなったと考えられる彼女は、どのような人物だったのでしょうか。

今回は歌集『紫式部集』より、姉を喪った紫式部の悲しみを紹介したいと思います。

姉を亡くした妹と、妹を亡くした姉と

(一五)

姉なりし人亡くなり、又、人の妹(おとと)うしなひたるが、かたみに行きあひて、亡きが代りに、思ひかはさんと言ひけり。文の上に、姉君と書き、中の君と書き通はしけるが、をのがじしとほき所へ行き別るるに、よそながら別れをしみて

北へゆく 雁のつばさに ことづてよ
雲の上がき 書き絶へずして

※『紫式部集』より

【意訳】紫式部が姉を亡くした。また別の女性は妹を亡くした。互いに悲しみを慰め合い、互いを亡き姉妹の代わりにしようと約束する。

手紙の中では紫式部が彼女を姉君と書き、彼女は紫式部を中の君(次女≒妹の意味)と書いて、親しく文通していた。

しかし紫式部は父に従って遠く北国の越前へ赴くことになる。

互いに別れを惜しみながら、紫式部はこう詠んだ。

「春になって北へ飛んでゆく雁(渡り鳥)に、言伝しておくれ。『雲を通じて、お互いの手紙を絶やさぬように届けておくれ』……と」

……この和歌は『新古今和歌集』離別859に収録され、今も人々の哀情を誘ってやみません。

この記述から、為時長女は為時の越前行きが決まる長徳2年(996年)より前に亡くなっていたことが分かります。

紫式部が天禄元年(970年)生まれとすると20代半ば、その実姉であれば30歳前後と考えられるでしょう。

当時であればとっくに婿をとっている年代ですが、特に結婚した記録がないということは、ずっと独身であった可能性も考えられます。

永らく不遇であった為時の婿になりたいという物好きもそうはいないでしょうし、あるいは病弱だったのかも知れません。

不遇の父を支えながら、妹弟たちの母親代わりとして懸命に生きた日々については謎の部分が多く、今後の究明がまたれます。

2ページ目 藤原為時長女・基本データ

 

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