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「一揆(いっき)」とは何か?平安時代から江戸時代・近代まで様々な種類があった一揆の歴史をたどる

「一揆(いっき)」とは何か?平安時代から江戸時代・近代まで様々な種類があった一揆の歴史をたどる:3ページ目

江戸時代の一揆

やがて徳川家康による天下一統・元和偃武が成り、武威と仁政の大義名分によって人々は武力行使を封じられていきました。

『編年百姓一揆史料集成』によると、江戸時代に発生した百姓一揆は、日本全国・全期間を通しておよそ1,500件。

うち武器の携行・使用が確認された一揆はわずか14件しかありませんでした。

残り1,400件以上の一揆は何をしたかと言うと、訴願(強訴、越訴など)や逃散(ちょうさん)と言った非暴力の手段です。

訴願は文字通り訴え願うこと。逃散は村落単位で夜逃げして、領主を干上がらせてやる作戦でした。

こんな回りくどいことをしなくても、直接殴り込んだ方が早そうなのに……と思いますが、これは幕府の力が強大であったことが関係します。

お大名らに武力で立ち向かっても勝てませんが、そのお大名らは幕府の権力を恐れました。

支配下の領民が不満をため込んでいると「ちゃんと領国を統治できていない」と見なされ、お家を取り潰されるリスクがあったのです。

だからこそ多くの人々は、暴力よりも法道徳や政治倫理に訴える方法で抵抗したのでした。

幕末の世直し一揆・打ち壊し

やむを得ず武力蜂起に及んだ14件にしても、一揆参加者は部外者への暴力や放火、盗みを禁じそれを遵守したそうです。

「すみません。これからお宅を打ち壊すんで、火事が出ないよう火の元を始末させて頂きますね」

怒りに任せて破壊と略奪、暴力に走らない武力行使は、実に日本人らしいと言いましょうか。

かくして幕末期に頻発した打ち壊しや世直し一揆といった武力行使も、世界史上例を見ない紳士的なものとなったのです。

4ページ目 明治時代以降の一揆

 

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