「一揆(いっき)」とは何か?平安時代から江戸時代・近代まで様々な種類があった一揆の歴史をたどる:2ページ目
鎌倉時代の一揆
鎌倉時代に入ると、一揆には「心を一つにする」「同心(共感の上で協力)する」ニュアンスが含まれ、動詞として使われるようになります。
例「それがしも、そなたに一揆しようぞ」
これは易占(えきせん。占い)の結果や解釈が一致することに由来するそうです。
占いが人の考え方や行動に大きく影響を与えたことがうかがえます。
あまり組織的だった感じではなく、個人間の共感や協力だったイメージです。
南北朝時代の一揆
やがて鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代に入った辺りから、一揆のイメージが大きく様変わりしました。
武士団や寺院、村落などで自衛や利権保護を目的とする組織的な一揆が発生します。
例えば武士団・軍団同士の一揆や、一族間の争いに伴って発生した一族一揆、また国人(こくじん。在地の武士団)による国一揆などが起こりました。
また借金の棒引きや土地の返還を命じる徳政令を要求する徳政一揆なども起こり、混乱した世相が感じられます。
室町・戦国時代の一揆
南北朝後期から室町時代にかけて、百姓ら庶民層(土民)による土一揆や荘家一揆(荘家≒荘園の領民)が興隆。一揆は次第に庶支配層への抵抗運動の性質を帯びていきます。
戦国時代に差しかかると、一向宗(浄土真宗)門徒による一向一揆や法華宗徒による一揆など宗教勢力も力を持つようになりました。
また民衆による地域コミュニティである惣(そう)と有力武士である国人らが国単位で既得権益に抵抗する惣国一揆も起こります。