有楽町の由来にもなった?本能寺の変で逃亡した「逃げの有楽」こと織田信長の弟・織田有楽斎の人生:2ページ目
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「逃げの有楽」と揶揄された?
織田有楽斎は、本能寺の変の際、戦わずに京都を離れ、岐阜に逃げたと言われています。このことから、「逃げの有楽」との汚名が。
しかし、その後信長の甥に仕えたり、秀吉の御伽衆に加わったり、家康とも関係が深くなっていきます。
持ち前の交渉力を活かし、大阪冬の陣では和睦に尽力しますが、夏の陣の前に家康に許可を得て大阪城を離れました。その後は京都に移り住み、隠棲します。そのとき、正伝院の再興や茶の湯を楽しんだと言います。その後、75歳で没しています。
ちなみに、東京の「有楽町」という地名は有楽斎の屋敷がこの地にあったから、という説があります(諸説あり、この説を否定する考え方もあります)。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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