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受け継がれる「槍半蔵」の名。渡辺重綱(守綱嫡男)の生涯と子孫たち【どうする家康 外伝】
「槍半蔵」の二つ名で、徳川家中に武名を馳せた猛将・渡辺守綱(わたなべ もりつな)。三河一向一揆で一度は主君に仇なしたものの、帰参後は忠義一筋に奉公し、その誇りを末代まで伝えています。
そんな渡辺守綱には息子がおり、これまた「槍半蔵」の名に恥じぬ猛将でした。という訳で今回は渡辺守綱の子・渡辺重綱(わたなべ しげつな)を紹介。どんな槍働きを魅せてくれるのでしょうか。
小田原・関ヶ原・大坂を歴戦
渡部重綱は天正2年(1574年)に三河で誕生しました。母親は守綱の正室・平岩親重(ひらいわ ちかしげ)娘ですから、平岩親吉(ちかよし)は伯父に当たります。
通称は父と同じく、半蔵および忠右衛門。元服して外祖父から重の字を賜わり、重綱と改名しました。
15歳となった天正16年(1588年)、半蔵重綱は主君・徳川家康(とくがわ いえやす)へ近侍するようになります。
それから17歳で小田原征伐(天正18・1590年)、27歳で関ヶ原合戦(慶長5・1600年)と歴戦。父に劣らぬ槍働きを見せました。
慶長18年(1613年)に父ともども家康九男の徳川義直(よしなお。尾張藩初代)につけられ、翌慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけて戦われた大坂の陣では尾張家の先鋒を務めています。
元和6年(1620年)に父が世を去ると47歳で家督と遺領1万4千石を受け継ぎ、父の愛刀であった長谷部国信(はせべ くにのぶ)を献上しました。
寛永18年(1641年)に68歳で尾張藩家老(執政)に就任。御政道を支えますが寛永20年(1643年)に隠居。嫡男の渡辺治綱(はるつな)に家督を譲ります。
そして慶安元年(1648年)10月1日、75歳で世を去ったのでした。
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